人間力や追求力は数字で測れない~測れないものの中にこそ本質がある。

先日の実現塾でこういうやり取りがあった。
>子どもの将来を考えるのなら成果目標を「成績」から「人間力と追求力」に転換させればよいだけです。それだけで成績不安から抜け出せます。
こういうレジメのくだりに対して以下のような質問がある人から出た。
「成績は数字で測れたが、人間力や追求力は数字で測れない。どうやって生徒の成果を確認すればよいのか。」
それに対して議長から
「数字は何の為にあると思うか」と問いが出た。
「・・・」
「ものを数える為に登場した数字だが、人類史では数字は専ら、何かを管理する為に使われてきた。」
確かに!
そのやりとりが今週ずっと頭に残っていた。
そして改めて考えてみた。この数字で人を評価するシステムが問題なのではないか?数字で評価するのは一見客観的で効率的で合理的である。
しかし、成績のいい生徒が決して実社会で有能なわけではない。逆に人間力や追求力は数字で評価できないが、非常に人間力のある人は多くの人が同じような評価をする。また高い追求力を示す人は誰もが同様に認めている。
つまり評価をする上で最も重要な、共認という要素が軽んじられた事が問題であって、本来は集団で生きていれば評価は必然的にその集団で共認されて形成されるものである。
測れないから評価できないといのは間違いで、数字で測れないものこそ、評価に値するのではないか。そして人間力にせよ、追求力にせよ常に相対的に決まる評価で、その集団全てが追求力を増せば、さらにそこから突出した力を持つものが生まれてくる。現代はあまりに安易に効率よく機械的に人の価値を評価しすぎてはいないか。そしてその結果、本来つけるべき力を見失っているのではないか。
内田樹氏は著書の中で以下のように表現している。リンク
>今の社会の仕組みはどれも目標を数値的に設定して、そこに至る行程を細部まで予測し、最小限の時間、最少エネルギー消費で目標に到達する技術を競うというものです。一見するとスマートで合理的に見えますけれど、人生の本質的な目標の多くはそういうスキームには収まりません。
(中略)
人間にとってたいせつなことのほとんどは「明確な目標設定/効率的な工程管理/費用対効果のよい目標達成」というような枠組みでは語ることができない。現代人はそれをどうも忘れてかけているようです。




 
田野健