解けない問題を出された時の反応が、その人の能力のバロメーターとなる

社会に出てからの課題は常に未明で、毎回通用する公式や、決まりきった初期設定等はありえない。
*****以下、HUFFPOSTから引用リンク
「教室から、生徒が8人出て行きました。そのあと、12人の生徒が教室に入りました。教室には何人の生徒が残っているでしょう?」
兵庫県の小学校で、上のような問題を生徒に出題し、どのような反応があるかを観察する試みがあった。
皆様は、表題の問題を解くことができるだろうか?
(出典:独学のすすめ ちくま文庫
この問題を出された生徒、あるいはそれを見た父母は当惑し、学校へ「解けない問題を出して生徒を混乱させないでくれ」と言った人もいたそうだ。
もちろん、極めて普通の反応であり、それ自体は何ら責められるものではない。
しかし、そのような父母の反応にもかかわらず、これは大変面白い問題である。まず最初に分かることは、「算数の問題としては解けない」ということだ。もちろん「学校」におけるテストであるから、生徒は当然、暗黙の「学校のテストにおけるルール」を意識して、すなわち、数学的に、あるいは算数として解こうとする。
しかし、それは無理である。「生徒の人数の初期値」が判明していない限り、算数の問題としては不十分で解けない。
そこで、機知に富んだ生徒は、違う側面から問題をとこうとする。例えば、
1.教室に8人とか、12人とかが出入りするような時間だから、早朝や放課後ではないはずだ
2.一気に多人数が移動しているので、休み時間、しかもトイレ休憩のような時間帯だ
3.12人というのは、休み時間が終わって戻ってきた人たちだろう。回答は一クラスの人数である30名程度ではないか。
上のような解答も、ひとつの回答である。このように、自分で推論を進める、あるいは過程を付加することにより「問題を解く」ことができるようになる。上のような事ができる生徒は、単にお勉強ができるだけの生徒よりも、「有能」であると言っても差し支えないのだろうか。
■「学校」と「企業」は異なるという。
実は、このちがいの根本的な部分は上のような話が根幹にある。すなわち、企業においての「問題」はルールが曖昧で、すべての条件が与えられているわけではない。むしろ、不明な条件が多く、自分で条件を付加し、仮定を置いて問題を完成させてから、それを解く必要がある。
本来であれば、大学がこのような教育をするべきなのだろうが、大学を卒業しても相変わらず「習っていないのでわかりません」、「やったこと無いのでできません」という人がいるところを見ると、残念ながらまだ大学も十分役割を果たせていないのだろう。「学校の勉強が役に立たない」 との批判も、こういった現実から起きているとみられる。
企業において、「与えられた課題をこなす」から、「自分で問題を作り出す」人が求められるようになってきた現在、「問題解決」よりも「問題創造」が重要視されるべきであるとは、金言だと思う。
*****以上、引用終わり




楊数未知