現代の教育は否定の上に成り立っている。

「戦後、否定されたもの(リンク)」より引用します。
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日本は戦争に負けた。負けたことで、いろいろなものが切り捨てられた。
切り捨てられたものの中に、教育の本質も含まれている。
今の、我々の食卓のようなものだ。食べ物の、見栄えをよくするために、料理の過程で栄養価が、高い物が、たくさん捨てられている。
その反対に、化学物質漬けの食料が並んでいる。
大多数の日本人は、今の教育が、多くの否定によって成り立っていることに気がついていない。
現代の日本の教育は、多くのことを切り捨てて、成り立っている。沢山のことを切り捨てていながら、何でも疑ってみよう。
これじゃあ、何も、信じるなと言っているようなものさ。
一体どれくらいの事が、頭から否定されたと思う。
まず、思想を否定している。とにかく、思想的なものは、全て駄目。思想は、全て、危険思想。思想的な話をするだけ危険人物と見られかねない。思想を敬して遠ざけている。
自己の否定。わがまま言うなといって自己主張をさせない。それが、人格の否定へとつながる。人格の否定は、個人差の否定、個人の能力の否定、個人の性格の否定へエスカレートする。そして、肉親、血縁の否定。
それから、道徳の否定。道徳は、個人の問題だから、国家は介入してはならない。冗談じゃない。道徳は、社会的問題ですよ。マナーの否定。躾や育児の否定。礼節の否定。家事の否定。
修行・修養の否定。師の否定。誰でも、先生になれば、尊敬されると思っている。
国家の否定。経済の否定。損得勘定は、下品なことだって。政治の否定。宗教の否定。神の否定。
文化の否定。歴史、伝統の否定。風俗、習慣の否定。盆も正月も失われつつある。儀式やしきたりの否定。祭りは、どうなる。地域性の否定。地域コミニティの否定。
家庭の否定。家族の否定。日常生活の否定。
必要性の否定。実用性の否定。
究極は、教育の役割の否定。これは、自己否定ですね。生活力や生き甲斐といったもの、人としていかにありべきか、いかに生きるべきかという事を指導する事を諦め、放棄した時点で、教育は、その役割を喪失した。そのことに気がつかないことが恐ろしい。
このように、多くの事が否定された上に現代の教育は成り立っている。





村田頼哉