生徒主体の授業は、扱うテーマも学年も初対面も関係ない=枠(固定観念)がない

「教育」という現場に携わるようになり、1年以上が経過。
まず、1番最初に感じたのは『元気が無い』という事。
「何故だ?」明らかに自分の小中学生時代(たった15~20年前)と比べても明白だった。
教室で生徒達に詳しい先生や生徒達本人に話を聞くと、「テスト」「親が勉強しろ」。他にも「アイツがウザい」「イジメられている。」「学校が面白くない。」etc.
【実感したたかだか15~20年前(自身)と今の生徒達の比較】
・テストの頻度の多さ(自身の小中学生時代と比べて)。
・親からの勉強圧。
スマートフォンを持っているから、影で陰湿なイジメも起こっている。
・学校〝制度”そのものに違和感が強い(自身と比べ)。
→要は、元気が無くなっているのは〝学校”やそれに付随した親からの圧力等で苦しみ、活力が封鎖されている事を目の当たりにした。
生徒達のこれからは、「学校教育≠社会に求められる力の育成」という外圧が既に存在している。
また、最近の授業(生徒達の活力等)を踏まえ強烈に感じるのは『産業界から非難されている「学校教育」は、そもそも今の子供達の活力にも全く逆行している』という事。
2020年には、ついにお上である文科省が抜本的改革(=教育改革)として大学入試(センター試験)制度の変更や、アクティブラーニング方式の導入等を謳いだしたが、まだまだ〝ガワ”だろう。何故なら、教育する側の人間が結局、社会を経験せず教師資格を取得した「教師」が大半だから。
この外圧状況、生徒達の活力を踏まえると、『社会外圧と子供達の活力が繋がった取組むを行う場』として機能させる必要がある。
学校やそれを取り巻く環境(親など)から封鎖されてしまった、本来だった楽しいはずの学ぶ(追求する)という事。
みんなでやっていく事が、個で取組むよりも楽しく、成果に直結するという関係力。
相手の事を考えて取り組んでいく同化力。
これらは、いくら口頭で説明しても頭で理解するだけで、本質的な力として肉体化していかない。
だから、授業を通じてみんなで体感し、成功体験を積み重ねながら形成していく。
今週の授業は、その片鱗(土台)が見えてきた。
『生徒主体、講師は議論の追求度合を深める黒衣に終始』
授業後の生徒達は、何だろう、顔が爽快だった。
「元気があった」「悔しさを感じていた」「もっとやりたい」
既に、学年の「枠」を飛び越えた小5~中2の約30名。
扱ったテーマは、市場を牛耳る金貸しの戦略(内十字軍遠征)。
字面だけ見てたら本当に難しいはず。
生徒主体で一体となった彼らは、テーマも学年も初対面も関係ない。
何でも楽しんで取組む。講師の役割はただ、その取組を醸成させ、拡げていく事だ。




森敏幸