現実を直視する「生産の場」と一体になった「学び場」

大学の博士過程は、お金と時間と努力をかけても何のありがたみが無いどころか足枷。博士をとっても大学教員にもなれず(リンク)、企業はプライドも年齢も高い人材を使いにくく採用を敬遠する。博士課程の不要は誰もが認める現実。
大学そのものも、大学受験の合格率は1990年55.5%に対し現在93.3%と「大学全入時代」(リンク)、かつ企業は出身大学を問わなくなっている。(リンク)。
大学卒の肩書きも、ありがたみが無いどころか足枷になる時代はもう目の前にある。
2004年に産業界から教育の変革要請が出されたが、その意図は、今の学校教育が常に未明課題に晒されている生産の場では全く役に立たない、この現実を突きつけたことにある。
それを受けても、各大学で追求が行われるどころか、入試問題も授業も受験産業アウトソーシングしている始末で、大学の空虚化は加速している(リンク)。
お上も産業界の要請から何と16年後になる2020年に、指導要綱・入試制度の改革を行う始末で、かつ肝心の中身も大改革と名を打っているが抜本とは程遠い。
受験だけでなく教育そのものがすべての元凶であることが、企業発で明らかになりつつある。
そしてその根っ子に今の義務教育がある。小>中>高での「答えありき・教える・暗記・強制」の教育こそ、子供への影響が大きく切実である。
しかし、お上も学校も、日々、現実の未知・未明課題に晒され闘っている企業からの切実な声にも感度が働かない。
この『現実を直視できない体質』が問題の本質。
だから、教育は未来の創り手である「次世代の人材育成」の場であるはずが、逆に未来の人材を潰している犯罪的な現実にまったく気がつかない。
大学も小中高も、学び場が単独で存在する場は弊害にしかならない。
現実を直視する「生産」と一体になった場でないと、学びの場は片肺であり機能しないのではないか。
【※参照】
○学歴信仰は終わった。答えを理解するだけの頭脳では、仕事に対応できないリンク
○試験脳は、頭を錆びつかせる ~追求とは、同化すること~リンク
○強制的な勉強は、本来の思考を封鎖するリンク
○学校は軍隊をモデルに作られた。その強権体質が、今、子供を潰し始めた。リンク
○学校が諸悪の根源であることに多くの人が気づき始めている。リンク
○私権社会から本源社会への大転換、その本流は教育革命リンク
○私権社会から本源社会への革命的転換、その主役は子ども達リンク