学校で教える歴史の教科書からは当時の社会を理解できない

歴史には、表の歴史と裏の歴史と大きく二つに分かれるが、「裏」の歴史を解明しないと、本当の歴史が何なのかは解明できない。「裏」と言うと、当時の為政者や権力者の力学を考えがちであるが、社会を作り出すのは当時の意識潮流にも焦点を当てる必要がある。
「当時の大衆の意識」に焦点を当てたとしても「今の教科書」だけ見ていても絶対に解読できない。なぜなら教科書には「現代人のイデオロギー」が介在しており、「事実」では無くなってしまうからだ。
わかりやすい事例をい記した記事があったので、下記に引用します。
以下、歴史の教科書からは当時の社会を理解できない(リンク)より引用。
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1868年の正月の鳥羽伏見の戦いから翌年5月の箱館戦争までの新政府軍と旧幕府軍との戦いは、1868年が戊辰年だったことから戊辰戦争と呼ばれています。
それから60年後の戊辰年にあたる昭和3年(1928年)。東京日日新聞社が、正月の読み物として前年の暮れから戊辰物語を連載しました。この戊辰物語は、明治維新を経験した人たちの談話が掲載されており、当時の民衆の心情や生活がどうだったのかがわかる興味深い史料です。
■作られた長時間労働のイメージ
戊辰物語は、岩波文庫から出版されており、今でも読むことができます。
戊辰物語は、当時の人々の体験談が数多く掲載されていますが、これを読むと、現代人が持つ江戸時代の印象とは随分と異なっていることがわかります。同書のあとがきは、佐藤忠男さんが書いているのですが、まずはその中の一部を紹介しておきます。
現代のように文明が発達し機械化が進んでいる時代でも、1日の3分の1を労働時間に割いています。機械がなかった江戸時代以前なら、今以上に長時間労働を強いられていたに違いないと思うでしょうが、実は長時間労働産業革命以後に生じた労働形態なのです。
それ以前の農業社会などがべつにそれほどの長時間労働を必要としたわけではないことは、今日でも資本主義以前、産業革命以前の農業生活をしている開発途上国の農村などに行ってみれば分る。しかし、学校で教える歴史には、そんな重大な問題はまず、書かれていない。書かれていることは、政権にどういう変化があったか、といった下らないことである。
(284ページ)
江戸時代は、農民が作った米は年貢として武士に取り立てられていました。四公六民や五公五民と言われているように収穫の半分を農民は武士に納めなければなりませんでした。
だから、当時の農民は滅多に米を口にすることができなかったと思い込んでいる現代人が非常に多いです。しかし、江戸時代の人口の8割が農民です。残り2割の武士や町人が全収穫量の半分を食べきることはできません。江戸時代の農民は貧しかったというのは、単なる先入観であって事実ではないのです。
その先入観には根拠はないわけではないが、そこにはひとつのイデオロギーが作用している。それは、少年時代の私が、江戸時代やそれ以前の人々の生活はどんなにひどいものだったろうと思い、そのひどさから脱出するために産業を発展させなければならないと思い込んでいた幼稚な誤解と同質のものである。昔は悪く、その悪を克服するために近代的な産業の発達が必要だったというイデオロギーである。
(285ページ)
以上、引用終わり
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紺碧空