受験生のみなさんへ(内田樹の研究室)②

内田樹の研究室より転載します
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(①のつづきです)
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 記事は日本の大学に著しく欠けているものとして「批評的思考」「イノベーション」「グローバルマインド」を挙げていました。批評的思考や創造性を育てる手立てが日本の学校教育には欠けていることはみなさんも実感していると思います。けれども、「グローバルマインド」が欠けていると言われると少しは驚くのではないでしょうか。なにしろ1989年の学習指導要領以来、日本の中学高校では「とにかく英語が話せるようにする」ということを最優先課題に掲げて「改革病」と揶揄されるほど次々とプログラムを変えては「グローバル人材育成」に励んできたはずだからです。でも、30年にわたるこの努力の結果、日本人は「世界各地の人々とともに協働する意欲、探求心、学ぶことへの謙虚さ」(記事によれば、これが「グローバルマインド」の定義だそうです)を欠いているという厳しい評価を受けることになってしまった。

 問題は英語が話せるかどうかといった技能レベルのことではありません(ついでに申し上げておきますけれど、過去30年で英語力も著しく低下しました。現在、大学入学者の多くが英語をまともに読めず、書けないために、大学では中学レベルの文法基礎の補習を余儀なくされています)。日本の学生に際立って欠けているのは、一言で言えば、自分と価値観も行動規範も違う「他者」と対面した時に、敬意と好奇心をもって接し、困難なコミュニケーションを立ち上げる意欲と能力だということです。しかし、生きてゆく上できわめて有用かつ必須であるそのような意欲と能力を育てることは日本の学校教育においては優先的な課題ではありませんでした。
学校で子どもたちが身につけたのは、自分と価値観も行動規範もそっくりな同類たちと限られた資源を奪い合うゼロサムゲームを戦うこと、労せずしてコミュニケーションできる「身内」と自分たちだけに通じるジャルゴンで話し、意思疎通が面倒な人間は仲間から排除すること、それを学校は(勧奨したとは言わないまでも)黙許してきました。

でも、その長年の「努力」の結果、「あなたたちはグローバルマインドがない」という否定的な評価を海外から下されてしまった。学校生活を無難に送るために採用した生存戦略がみなさん自身の国際社会における評価を傷つけることになったわけです。たいへんに気の毒なことですし、長く教育にかかわった者としては「申し訳ない」と叩頭するしかありません。僕自身はそういう学校教育のありように一貫して批判的でしたけれど(どちらかというと「排除される側」の人間でしたから)、力及ばず学校教育の空洞化を止めることができなかった。それについては責任を感じています(だから、こういう文章を書いているのです)。
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(③につづく)

 

 

 

孫市