学校で得られる事・それによる評価の違和感

学校とはいわば同世代を集めた集団環境であり、
その集団環境に一斉に教育を促していく場。
それに対して子供達はその教育を一緒に勉強していくことで、同じような知識を蓄えていく場。
そして学校では答えが用意されている。
その答えにあわせて子供たちは知識を蓄えていく。
それによる子どもたちの認識には、必ず答えがあるものとして思考が構築されていく。

社会では、答えのない事例がいくらでもある。
あえて言うなら自身で確立していった成果が答えである。
学校では、自身で確立していく事など決して無く。問題があり、それに対する答えというものを完全に確立してしまう。

なおかつ成績評価という制度をつけることにより、その用意された問題、用意された答えをひたすら覚えた人間が優れているという評価というものだ。

原理等も絶対的な証明というのは存在しないのに、それが絶対とした教材。
それにより子どもたちの「絶対」という思考が確立され、柔軟に他の可能性を思考することができない。衰弱していっている。

ここまで話すとまるで学校へ行く意味がないのではないか?という思考になってしまうので

学校へ行く意味・価値についてポジティヴに考えてみる。

まず以下の点はメリットと考えておきたい。

・同世代が集まるため友人・年代毎の遊び・ニーズの一致がかみ合い。
・性的な目覚め(異性を強く意識するようになっていく)
・集団行動をして生きていく上での経験
・様々な外圧があり、そこに順応していく適応能力の向上
・仲間意識の向上

上記の点は、学校があることでそういった機会に遭遇するチャンスが強いということ。

勉強面に関しては、多少の加減乗除等が出来れば仕事が差し支えるという事例はほぼ無いし。

割と現業の技術であったり・知識というのは知っている人からの雑学が主にあり、その雑学で出た技術がどのようなメカニズムで、何故こういったことが考え付いたのか。そういった所の状況を具体的にイメージしていけるようになっていくことで、自身の現業でいま必要なものであったりの工夫思考というものが強化されていく。

こういった思考はただ学校いってるだけでは何も身につかないだろう。
学校行ってる人で身につく人間はそれはいるが、その割合が非常に少なく感じる。

これらを踏まえ、現在学校に行っている子供たちに考えてほしい。

何を意識して、何を学ぶために学校にいくのか。
勉強=社会の力にはなりえない。
必ずしも自身の欠乏があり、それを達成するための追及が生きていく上で一番必要な力であるということを胸に抑えていってほしい。

 

 

 

 

匿名希望