学校に行く以外の道もあるんだよ・・・奥地 圭子 さん(NPO法人東京シューレ 理事長/東京シューレ葛飾中学校 校長)へのインタビュー1

奥地 圭子 (おくちけいこ)さん(NPO法人東京シューレ 理事長/東京シューレ葛飾中学校 校長)へのインタビュー記事リンクより引用します。

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プロフィール
1941年東京生まれ、広島育ち。NPO法人東京シューレ 理事長、東京シューレ葛飾中学校 校長。1963年より22年間、公立小学校の学校教員を勤めた。わが子の不登校経験から、子どもに寄り添った教育とは何かを模索。1985年に不登校の子どもたちの学びの場として、フリースクール東京シューレ」を開設した。親の学び合いやフリースクール同士の全国的なつながりを図る等、さまざまな不登校支援活動もおこなう。現在は子どもに合わせた多様な教育機会を保障する新法の成立に向けて精力的に活動している。この他、「NPO法人不登校を考える全国ネットワーク」代表理事、「NPO法人全国不登校新聞社」代表理事、「NPO法人フリースクール全国ネットワーク」代表理事文部科学省フリースクール等に関する検討会議」委員、東京都「不登校・中途退学対策検討委員会」委員等を務める。著書に、『僕は僕でよかったんだ』、『子どもをいちばん大切にする学校』(いずれも、東京シューレ出版)ほか多数。

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◆どうして不登校の問題に関わるようになったのですか?
 1978年頃のことです。私の息子が不登校になりました。当時は「登校拒否」と言っていましたね。息子は、転校先の小学校でいじめや教員不信などが重なり、朝になると頭痛や腹痛が起きるといった身体症状が出て登校が困難になっていました。でも、「行きたくない」とは言いませんでした。それは親の私が「子どもは学校に行かなくてはならない」という固定観念を持っており、息子もそれを肌で感じていたからでしょう。
 やがて、息子は拒食症になってしまい、どんどん痩せ細っていきました。その頃が親として一番つらかったです。当時、私は学校教員をしていて、世間体を気にして、息子には学校に行ってほしかった。教師なのに実の子どももまともに育てられないなんて、失格だと悩みました。最初は病気だと思っていたので、いくつもの病院に行ったのですが、医者ごとに診断が違うのです。不登校の子を持つ親御さんがよく「どこに出口があるのかわからない『真っ暗なトンネルの中』のようだ」と言うのだけど、まさにそんな状態でした。
 息子が拒食症になって3カ月が過ぎた頃、国立精神・神経センター国府台病院(当時)の児童精神科医長・渡辺 位(わたなべたかし)先生に出会いました。渡辺先生は当時では珍しく、子どもの立場からものごとを観る方でした。不登校の原因が親や子ども自身にあるのではなく、子どもが危機的な状況から自分を守るための必然的な行動だと考えておられました。そんな渡辺先生と診察室で話した息子は「お母さん、僕は僕でよかったんだね」と晴れ晴れとした声で言い、拒食症も嘘のように治ってしまいました。
 それではっとしました。私も夫も、なんとか息子を早く元気にして、学校に行けるようにしようと思っていました。でもそれは、息子に「こんな自分ではダメだ」と思わせていたのです。そこから考え方が変わりました。「学校は子どものためのもの。子どもが苦しいと思うのなら行く意味は無い」って。私自身も教師の立場で、納得しがたい学校の現状を、もっと子どもたちにとって良いものに変えていきたいと、いつも思い悩んでいました。そのことと不登校問題の根が一緒だと気づいたんです。

◆その後、教師を辞め、フリースクールを開設したんですね。
 不登校の子どもたちにも、安心できる居場所、学び育つ場が必要です。それで、学校以外にそういう場を作ろうと、たくさんの方々の協力を得て、1985年にフリースクール東京シューレ」を開設しました。既存の学校の原理・原則とは違って、子どもと共に新しく創る必要がありました。学校に行かない子たちが求めたのは「自由・自治・個人の尊重」であり、それは、その後よく交流することになる世界のフリースクールの理念とも共通するものでした。
(中略)
一番の問題は、学校を中心とした教育制度と現実の子どもとの間にミスマッチが起きていること。それに社会全体がきちんと向き合おうとしていないことです。学校とは合わなくても、別の方法なら自分の力を発揮できる子どもはたくさんいます。子どもは一人ひとり違った存在です。その子どもの個性や状況に合う、本人が望む方法を選ぶことができるようにする必要があるのです。
 「登校拒否」とか「不登校」という言い方は、そもそも、登校することを前提としている点でおかしいと思います。学校やフリースクール等に通うのではない、家で学ぶ「ホームエデュケーション」という選択肢もあるのです。ただ、今の日本の制度では、一律子どもは学校に通うことにしているだけです。それに合っていないのはダメだと思いがちですけど、でも、人間が作った制度なんだから「別のやり方だってあるんじゃない?」と少し考えてみてほしい。私はそれを「靴と足の関係に似ている」と思っています。靴が合わなくて足が痛くなるときには、足に合う靴を探しますよね。靴に合わないからといって、足の方がダメだとは思いませんよね。それと同じで、大事なのは子どもの方なのだから、枠や制度が合わなかったらそっちの方を子どもたちの現状に合わせて変えればいい。「他の人たちと同じようにしないからダメだ」と、子どもの方を否定するのは間違いです。

 

 

 

 

がらがらどん♪