学校のありかた~閉鎖的空間から連続した複合空間への変革が求められている~①

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学校は、社会へ出るための準備をする場である。
つまり、社会人としての教養や道徳を身につける場である。

  現在の学校空間は、生活の場とも、仕事の場とも切り離された極めて特殊・特異な空間である。社会空間は、例えば、生活空間と仕事の空間が表裏の関係に(職住空間)あるように、お互いが深く関わり合って形成するが、学校空間は、特に、学校制度が確立されて以降、生活の場や仕事の場と切り離された、孤立した・隔絶した空間になっている。

  学校空間は、集団生活の場である。集団教育の場である。
  集合教育の場であり、人間関係を学ぶ場であり、サブカルチャーの場でもある。

  本来の学校空間は、社会的空間であり、社会的規範、価値観を育成する場である。つまり、人間関係の在り方を学ぶ空間である。そして、職場や社会への前段の場である。
  現行の学校教育は、集合教育という面ばかりが強調されている傾向がある。その為に、学校教育に偏りが生じ、制度全体が歪められているのである。実際には、人間関係を学ぶべき場であり、サブカルチャーの果たしている役割、影響が、看過できないほど大きくなってきているのである。

  学校空間の構成は、中心に集合教育である正規の授業があり、その下敷きとして、集団生活、人間関係があり、正規の授業を取り囲むようにして部活や塾のようなサブカルチャー群があるという様になっている。

  学校は、閉鎖的な場である。学習の場である。家庭や職場、社会が、学校との連続性を持たせようとすることによってこの閉鎖性を補うことは可能である。問題は、そのやり方、在り方である。

  学校の教育主体は、教育者である。そして、部活の指導者や先輩が直接的な力で、家庭や社会が間接的な力で、学校教育を補佐、補助をしている。

  これだけは、少なくとも言える。学校は、教師の実験場ではない。

  学校空間は、成長段階に応じて何層にも重なっている。また、それぞれの段階もいくつかの空間に分裂している。つまり、学校空間というのは、重層的、複合的空間であり、空間そのものが構造をもっている。
  また、隣接する空間として、また、重複する空間として職場や家庭、地域社会がある。
  学校空間を構成する空間は、自己の内的空間である。これらの空間を貫いて、媒介し、結びつけているのが、学習主体である。

  初等教育は、共通項、共通の場を通じて為されるべきであるが、中等、高等と進学するにつれ、徐々に専門化していくべきである。そして、義務教育が終了した時点では、自律的に自分の進路を決定できる様な環境を整えるべきなのである。そのうえで、少なくとも成人の年令に達した時点で、自分で自分の職業を選択できるように自立させることが最終的目標である。
  義務教育の終了年令と成人年齢に差があるのは、義務教育終了時点である程度自分の進路を見極めさせ、社会に出る準備を開始させた上で、成人年令に達した時、社会に受け容れるという意味がある。自律的な意志を発揮させる、ないし、社会的責任を持たせるのは、成人年令の時点ではなく、義務教育終了時点である。
  その為には、入り口は、一つでも出口は多様にしておく必要がある。狭き門より入れである。今のように、出口を絞っていくのは、統一していくのは、教育上好もしくない。何でもかんでも、偏差値や学力で測るのは辞めるべきである。一番重要な基準は、自律的意志であり、いくら勉強ができても、他人に決めてもらえなければ何もできないのでは意味がない。
  年令による管理も辞めるべきである。現に、自動車学校のように実質を重んじる学校では、年令による管理をしていない。その人間の個性と成長段階に応じたカリキュラムを組んでいる。制度は多様に、運用はシンプルにである。
  一人一人の個性、成長に合わせて選択的な制度にすべきなのである。その為には、個別化された制度が必要なのである。個別化というのは、良い意味での区別化である。つまり、制度上に区別を設け、それを教育を受ける側に選択させるのである。

②へつづく

 

 

 

鎌田華菜