不登校から何を考えるか

不登校と聞くと「何か問題がある子なのね」「いじめられちゃったのかしら」と思われるだろう。私もご近所さんが不登校だったらその様にちらついてしまうかも知れない。
不登校=なにか欠陥がある子」といったイメージが社会的に常識になってしまっているかも知れない。

学校に行けない…「不登校50年」が問い直すもの
リンク

コレを読んで不登校の生徒ではなく学校、社会に問題がある可能性を探る必要があると思わされた。

 不登校は、子どもの問題ではなく、解決には学校を変える必要があると訴えていたのは、元国立精神・神経センター国府台病院児童精神科医長の渡辺位さんだ。

「腐った物を食べたら下痢をする。下痢が問題なのではなく、細菌の繁殖した食べ物を摂取したのが原因であって、排出しようとするのは防衛反応。下痢の原因を見ないで、下痢だけを治そうとしてもだめ」

とのこと。
言わば「不登校は疾病であって、それ自体が問題ではなく病原菌は何なのか、なぜその病原菌を摂取してしまったのか、細菌が繁殖してしまったのか、を考えていかなければならない。

不登校になってしまう人の理由ツートップは「無気力」と「情緒的混乱、不安」である、次に友人関係、親子関係とある。

では何故無気力になってしまうのだろうか情緒的混乱になってしまうのだろうか、これは学校が義務や使命感によって通うもので楽しい、行きたい場所になっていないからではないかと推測する。

軍隊学校のシステムを色濃く残し、あまりアップデートされていなかった学校が現代にはあまり向いていないのではないものになってしまったか。

病原菌としては古のシステムになってしまっている事があるといえるが、一方で学校が「細菌の繁殖した食べ物」になってしまったと仮定した時、それを食べないのが最も簡単な解決法と言えるが、細菌だけを殺す方法やそれを食べても異常を来さない進化にも可能性を感じる。

学校は行く価値がないといってしまうのは簡単だ、何をどうすれば価値を見いだせるか、時代遅れの部分をアップデートし、古き良き部分を残し学校が楽しくて行きたくて仕方のないものに変えることは急務だろう。

 

 

 

 

おぬこ