学校における教育・学習を支える集団・コミュニティの問題・・・②

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1 ── 現代社会の学校と教育の困難
(1)教育困難現象教育といえば私たちは学校をすぐに思い浮かべます。そのように、学校教育の普及と一般化は、近代社会の特徴です。いまその学校教育が大きな困難を抱えています。その困難は、学級崩壊や授業崩壊、不登校や登校拒否、いじめ、校内暴力、などとして現象しています。それらは、どこの学校のどの学級でも、どの教師のもとでも発生するようになりました。もちろん教育困難が発生し難い学校・学級・教師といえる条件はあります。

しかしそういう優れた教師のところでも発生可能性があるということは、いまや、学校教育は原理的に破綻しているということを現していると言えるかもしれません。現在の、たとえば中学校の授業は、高校受験、試験、厳格な管理・取り締まりがなければ、ほとんどの教室で成立しないと思います。つまり、試験と管理の脅しの下で、ようやく授業が成立しているように見えているだけなのです。

(2)子どもにはまだ箍「たが」がはまっていない
そもそも子どもは社会の文化的箍・規範をはめて押さえ込まなければ、どこにでもあふれ出し、ぐちゃぐちゃにし、何を考え出すか、しでかすか分からない存在なのです。その社会的文化的制約のなさこそ、子ども性・らしさであり、歴史を新しく創り出していく源のひとつなのです。最初に見たように、認識においても感情においても行動においても、その制限のなさに社会的文化的枠をはめていくこと、そのことに私たちは学習あるいは教育という名をつけてきたのです。

だから、箍がはまっていないぐちゃぐちゃ子どもは、現代の異常ではなく、もともとの子どもの生の姿であり、現代学校では子どもがそのままで学校に登場している、と私たちは見なければならないのではないでしょうか。
しかしそれにしても、ひどすぎはしませんか、いまの子ども・若者は、と言いたくなるのも分かります。かつての子どもらしさ・若者らしさは、もっと別の現れ方をしていたようにも見えます。
現代社会の教育システムのどこに、なにが生じているのか、まずは歴史をふり返りながら、考えてみたいと思います。

2 ── 近代社会の教育における社会集団の役割
(1)前近代社会の教育システム
社会に広く学校教育が存在する前の社会においても、教育のシステムはしっかりとありました。次世代の育成のためにはそのシステムはなくてはならないものでした。貴族、武士、商人、職人、農民・漁民、僧侶という階層別に、身分別・職業別にあるいは地域別に、それぞれの教育システムがありました。

地域別教育システムとここで言っているのは、たとえば日本のそれぞれの村にあった若者組など、江戸期から1950年前後まで各農村・山村・漁村に存続していた地域若者自治組織を念頭においています。それは自主財源さえ持っているほどの強固な自治性を持っていましたが、上下関係の厳しい非民主的な組織でした。(同じような村落地域若者組織がヨーロッパ文化圏になかったのかどうか、なかったとしたら、村落の後継者養成のための社会的組織はどうなっていたのか、それは興味のある問題です。)

また、子どもたちはそれぞれの家族の下で、親たちと一緒に生活し、労働しながら、家業を継承するために必要な文化あるいは力を身につけていきました。
したがって前近代社会の教育システムは、身分、職業、地域別の、それぞれの後継者養成のためのシステムであったということができます。その前近代教育システムにおいては、

a.子どもにとっては、自分が参加していきつつある将来の社会集団の姿が明確になっていました。

b.子どもが成り行く自分の将来像・モデルが目の前にあり、しかもそのモデルは抽象的ではなくて、自分の具体的なアニ弟子であり、番頭、親方等々でありました。

c.学習内容は実践的で、その将来像にシッカリと結びついていました。もっと正確にいえば、学習と実践は一体であり、全体の仕事の欠くことのできない一端を担うこと、それが学習でした。

つまり、学習を通して自分が進み行く過程の
a.参入社会像
b.自分の将来像
c.自分の学習生活活動自体の意味づけ
が明瞭でした。

 

 

 


加藤俊治