学校が必要ない理由、小・中の義務教育は子どもに有害すぎでしょ②

■ほとんどの子どもたちにとって学校は必要ない

共働きが多いご時世、働く親にしてみれば子供を学校まで送り出す事が当たり前であり、8、7時間の間「こども」を預けられる便利な場所です。僕は、小さいながら、衣食住を支えるために仕方のない事だとは理解していました。

それでも僕は学校という存在は不必要だったと認識しています。自分の子供に負担を押し付けているように感じたからです。あの頃の僕は心休まることがない空間に置き去りにされたと思っていました。

机に寝そべって時間が過ぎるのはただ待つだけの日々を送っていく中で、ほとんどの子どもたちは勉強なんてつまらないのだろうと感じました。「キーンコーンカーンコーン」その音が鳴り止むと、僕は少し安らげを得て恐怖が和らぎました。休み時間になり、周りを見渡した時に席に座っている人はほとんどいなかった。子供同士でお喋りしたり、お友達と遊びに運動場に繰り出していました。

小学校低学年にギスギスした人間関係がない理由なんだろうな。

また「キーンコーンカーンコーン」鳴り、授業が始まり、そして子供の快適な時間が失われていきます。時間を過ぎて遊んでいたら、強制的に教室に連れていかれましたよね。

僕は幼いながら、授業に耐えきれずに頻繁に学校の敷地内を抜け出し、近所をあちこっち駆け巡っていました。これが恐怖から抜け出す自然な行動だったと考えています。机に伏せながら、毎日のように泣きじゃくっていたことを今でも鮮明に記憶しています。それぐらい、僕にとって学校は苦痛でしかなかった。

一つ一つの記憶に触れてみて思う事は、学校はすべての意味を失う場所だったという事です。

■学校の子供たちにとって広い意味の「学び」は少ない

学校は子供に知識や、教育を提供してくれる有難い場所です。当たり前ですが、計算式や読み書きを学ぶために学校に行きます。しかし、学校で学んだ事の大半は大人になって仕事上活用することがほとんどありません。学校の基本的なカリキュラムのほとんどは、答えを記憶することに焦点を置いています。

学校の勉強に数百時間、数千時間という時間を要してやってきたことに疑問を感じることができますか?

退屈なカリキュラムは何十年も変わっていない。子供たちが本当に必要とするような学校の科目はあるのだろうか。実際に過去数年にわたり、代わり映えのない奇妙なシステムです。学習では、ただじっと座っているし、学ぶことの面白さは分からないし、何かに耳を傾けることを余儀なくされているように感じるのは僕だけ?

学習面で感動を覚えたり、疑問を感じたり、推論する機会もなかったと言えばウソになるけど、あまりなかった。学校のつまらない授業を受けて帰宅したら宿題をこなす事で、よい大学に入学するための知識を十分に得られます。世の中の先輩方や、親たちの経験から学歴といった物質的な価値を説かれた経験上、学ぶ大切は十分に理解しています。

学校の授業が大切なら家庭教師を雇って100時間、勉強するだけでも十分なのです。賢くなる為に学校に行く必要はなく、今ではプログラミング言語の基本を無料で学ぶ事が出来たり、オンライン教育システムを利用て年齢に関係なく学びたいことを学習することもできます。

そして、現代は学校の代わりに何かを見つけることができます。

日本の公教育の始まり自体が、皆が同じように学び、理解するようにカスタマイズしている。オーダーメイド的教育が普及しないかがり、僕のようなポンコツは生きる力を失っていくのです。

まるっきり、合わない「学校」という空間に数年間、半強制的に押し込められている間に、僕はいまだ消せない記憶と、傷に悩まされ続けています。

だから個人的には、心から教育というシステムを見直して、一刻も早くオーダーメイド化してほしいと思っています。

 

 

 

鎌田華菜