現代日本では「やらされる活動」が能力の低い人をもっとダメにしている!勉強でも部活でも仕事でも

リンクより引用)

■「現時点で能力の低い人」に「やらせる」のは、最悪の組み合わせ
たとえば、「物事に対する集中力がない」と言われている人のことを考えてみましょう。バイトでしょっちゅうミスをする。勉強が続かない。指示通りに物事を進めることが苦手。こういった人は「注意散漫」というレッテルを貼られ、無力感に苦しむことになります。しかし、本当にその人は無能なのでしょうか?集中力がない、にも二通りあります。

①ほんとうに集中力がない人。脳の機能がそうなっている人
②自分の好きなことであれば集中力がある人。やる気のわかないことに魅力を感じない人

もしもその人が①のタイプであれば、まずは集中力をつけるための脳改造に取り組むべきです。このブログでも過去に扱ったテーマですが、たとえば「食事、運動、瞑想、音読」などによって物理的に脳を変えて集中力をつけるアプローチがあります。集中力がない、と嘆く時間があるのなら、そういったアプローチを試してみるべきです。 

一方で、もしその人が②のタイプだったとしたら、その人は決して無能ではありません。本人が集中力を発揮できるものであれば、集中できるのです。いまやっているものが合わないというだけです。レジ打ちがまるでできない人が実は日本一のトレーニングインストラクターかもしれませんし、授業をまるで聞いていない子どもは実は物理学の偉人になるのかもしれません。

■「やらされると、ダメになる」理由その1:脳内のネガティブな反応
実際に、「やらされる」と、人間のパフォーマンスはダダ下がりするのです。まず、「やらされる」ときの脳にはストレスがかかります。ストレスがかかると、脳内ではコルチゾールノルアドレナリンが大量に分泌されることが確認されています。コルチゾールは人間の気分を鬱っぽくします。ノルアドレナリンは人間に不安や恐怖の気持ちを起こさせる神経伝達物質です。どちらもストレスに反応して分泌されます。

「やらされる→ストレスがかかる→コルチゾールノルアドレナリンが多く出る→鬱っぽくなる→ますます集中力がなくなる」

という順序になります。「やらされる」と、脳の機能がますます下がるということです。

■「やらされると、ダメになる」理由その2:学習性無気力に似た状態を引き起こす
日常的に「やる気がないことをやらされる→集中できず、無能というレッテルを貼られ続ける」というサイクルを経験していると、そのうち「どうせ自分はなにをやってもうまくいかない人間なんですよ~だ」という学習性無気力に陥る可能性もあります。

問題なのは、その人が実際には有能なのかもしれないのに、無条件で能力が封じられてしまうことです。「やりたくないことをやらされてうまくいかない経験」が転移して、「やりたいこともやらなくなってしまう」可能性があります。「その人が本来のパフォーマンスを発揮できないこと」=「やりたくないこと」をやらされ続けていると、その人の能力は「全体的に」衰えていく可能性があるのです。

さきほどの例でいえば、②のタイプ。
ほんとうは有能かもしれないのに、やりたくないことをやらされつづけることによって学習性無気力に陥り、無能化してしまう、というわけです。「教育」をがんばればがんばるほど無能な子どもが育つ、という皮肉「やりたいことをやる」ならばその人が本来持っている能力を発揮できるはずなのに。実にもったいない。潜在的な損失は相当なものです。

いまの日本では、ほとんどすべての子どもたちが、「それをやらなければならないという常識があるから」という漠然とした理由のもと、「やりたくないことをやらされ続ける」というhave toの教育を受けています。全国の0~15歳の人口は、だいたい1700万人。この1700万人の大半が、15年かけた「have to」の教育により、「常識に無条件で従うように」洗脳されているのです。

「義務教育できちんと社会の常識を身につけなければロクな大人にはならない」と言いますが、本当はwant toのことだけをやるほうがはるかに教養も知識も身に付くし、逆にhave toで強制されればされるほど子どもは反発するのです。どうしてもある程度はついてまわる「やらなければいけないこと」を克服する手段も、want toをやっていくなかで自然に身につくものだと私は考えています。明らかに、社会の利益という点で見ても、子どもの主観的幸福度という面で見ても、大人が教育にかける手間という点で見ても、「want toを存分にやらせる」のほうがはるかにローコストで、ハイリターンで、「子どもの将来のため」になるのです。have toで頭を押さえつけ続けるこれまでの教育は、「子どもが言うことを聞くようになる」という奴隷の適性を身につけさせること以外の効果をもたらしません。


■まとめ:「やらされる」を減らしたほうが社会にとっては好影響
結局のところ、生産性でも創造性でも「やりたいからやる>>>>>やらされる」であることは自明の理です。

「やりたいことをやっているときの集中力の続き方・アイディアの出やすさ」と
「やりたくもないことをやらされるときの集中の切れ方・頭の働かなさ」を

「やりたいことをやれなんて甘えだ」と言っている人は、どんどん自分の首を絞めていることを自覚していない。極端な話、「やりたいことをやる人が1万人いる場合に生まれる付加価値」は、「やりたくないことをやらされる人が100万人いる場合に生まれる付加価値」と同じくらいだと思います。

「やりたいからやる」を支援する環境がだんだん揃い始めている(VALUの登場、各種格安サービスの浸透、クラウドファンディングなど)以上、これからは「(やらされることを最小限に抑えつつ)やりたいことをやる」人のほうが経済的には有利になっていくと予想されます。社会がそういう方向に向かっているので。

いまは「やりたいことをやって生きるなんて甘えだ!」みたいな風潮ですが、将来的には「やりたくないことをやるなんて甘えだ」と言われる日が来るかもしれません。

(引用終わり)

 

 

 

 

志葉楽