従順な工場労働者と兵士を養成するための義務教育は、「被仰出書(立身出世思想)」の洗脳により広まった。

私達が当たり前のように通うものと思い込んでいる日本の義務教育は、1872年(明治5年)の「学制」から始まったもので、約150年の浅い歴史しかない。
学制の目的は、戦争のための近代工業化に必要な労働力と徴兵の訓練(洗脳)機能。
軍隊の兵士も工場労働者も、自主性や主体性を出さずに上官や上司の指示に忠実に従って言われた事を正確にこなせることが求められる。
そうした人間をつくるために、同年齢の人間を1つの空間に隔離し、集団一斉の一方向の講義型授業を行い強制的に教え込み(暗記→洗脳)進級させる、現在の学校教育制度を生み出した。

しかし、明治の学制が始まる前の江戸時代の庶民は、「寺子屋」で誰からも強制されること無く、世界でも群を抜いて識字率が高い学びをしていた。
だから、義務教育が開始された当初は、人口の大多数を占める農村部の労働力を低下させてまで学校に通う子供は殆どおらず、制度に反対する人の方が圧倒的に多く日本各地で学校の破壊活動さえも発生していた。

Q.では、なぜ学制の就学率が上がり始めたのか?
学制が公布されたのと同時に、学ぶことを集団原理(皆の役に立つため)から個人原理に大きく転換する『被仰出書(おおせいだされしょ)』と呼ばれる文書が出され、全国の国民に全面的に布教された。
被仰出書は、福沢諭吉の「学問のすゝめ」が大きく影響したもので、「学問に励めばあなたも将来出世して豊かになれますよ」という、(私権獲得の)立身出世の思想の内容。
明治になり、従順な工場労働者と兵士を養成するための義務教育に通わせるため、国民に私権の可能性の思想を洗脳することで、共同体意識を解体し、それにより殆どの家庭が子供を学校に通わせるようになっていった。
(※小学校に必ず置かれていた二宮尊徳二宮金次郎)の像もその象徴)。

とすれば、貧困が消滅し、誰もが私権(身分、お金)を第一義としなくなった現代においては、義務教育の学校が存在する基盤は失っている。
そして、“学校に行く必要あるの?学校に行く意味は?”という潮流は大きくなっていくばかりで、少子化がすすむなかで登校拒否は増大している。(※参照:リンク

その登校拒否は法的にも否定されることはない。
法で規定しているのは、教育を受ける権利、保護者が子供に教育を受けられる環境・機会を与える義務であって、子供が義務教育の学校に行くことを規定しておらず、拒否しても法的問題は何も無い(※登校拒否で罰せられた判例は無い)。
<※憲法26条>
・「全て国民は、憲法の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」
・「全て国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。」

 

 

 

 

麻丘東出