なぜ学校が不要と言われるのか?

『全ての教育者のためのメディア。REAL(リンク)』より引用します。

政府の教育再生実行会議の第七次提言(首相官邸のホームページへリンク)では、以下のようにも述べられています。
>教育改革は、少なくとも 20 年以上先を見据えて取り組まなければなりませんが、今現在の教育に携わる人たちは現在の常識や価値観を基準にしており、親世代は自分が受け た 20 年以上前の教育を基準にして考えますので、そこには 40 年以上のギャップがあるという指摘もあります。しかも、これから先の社会の変化は、過去の変化とは比べもの にならないほど加速度のついたものとなることが確実です。<

ここで述べられているように、世の中の変化にもっとも疎いのが学校の先生たちです。多少極端な表現であるかもしれませんが、ビジネスの世界で進歩する技術の影響に恒常的さらされ生き残るためにつねに頭のアップデートを求められる実社会の人々とは違い、旧態然とした因循な世界で変化するインセンティブを持たずとも生き残ってゆけるのが学校社会です。

しかし、教員の頭が古いことによる負の影響は直接的に学習者に及びます。先の引用にある通り、今後の社会への見通しを持たずに最適な教育目的を立てることはできず、目的に誤りがあれば、授業目標の誤り、授業設計の誤り…と連鎖的に誤った教育が生まれます。

同提言には「2045年には、コンピュータの能力が人間の能力を上回る技術的な転換点が訪 れるという予測もあり、私たちの仕事や生活に、現在の常識を覆すような変化がもたらされる可能性があります。 」とありますが、これが事実なら、今まさに学校に通っている子どもたちが壮年期を迎えるころにそのような世の中に変化しているということになります。

であるとすれば、いま彼らを教育している私たち教員や保護者がそういう頭で教育に関わらなければなりません。世の中の変化に対して最も疎く保守的なのは学校の先生たちであるとよく言われますが、自分たちが生まれ育ったころの世の中の常識でもって教育に関ることは、その負の影響をもろに被る子どもたちのことを思えば、罪であるとさえ言えます。教師が世の中のことに疎い分だけ、学習者が将来不幸になるのです。

無識の指揮官は殺人犯なり。

教育者たるもの、これから世の中はどう変化してゆくのか、今後の社会ではどのような力が求められるのかについて、つねに学び続け、脳みそをアップデートし続けなければなりません。

 

 

 

 

村田頼哉