学校に存在している「特別権力関係」

学校という場には教師と生徒の間で特別な権力関係が存在している。それは、教師がいかに生徒に対し丁寧に接していても必ず存在するもので、社会的にも非常に特殊な環境がつくりだした異様な状態だといえる。

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 「特別権力関係」という関係がある。難しい言葉だが、教師と子どもとの間には、確実に存在するものだ。

 教師は、指導のために特別な権力が与えられている。しかし、多くの教師は子ども(教え子)への権力を意識していない。「意識していない」というのは、良い意味ではない。新任の教師であってもベテランの教師であっても、「先生」という立場が手に入れている権力であり、学校で、子どもとの間に必ず存在している権力であると、教師は気づいていないが、子どもたちは常に意識している権力である。

丁寧に子どもに接している教師はいることは否定しない。しかし、そこにも「特別権力関係」は確実に存在している。そのことを肝に銘じていない教師が多い、気づいていない教師が多い、という意味の「意識していない」である。

 学級担任が、ほぼ全教科を教える小学校は「学級王国」と呼ばれる。全権を握る“王様”に担任をなぞらえ、子どもを支配していると批判する言葉だ。教師は専門職で、お互いの立場を尊重しようとしていて、意見を言いにくい。教師は互いのことを「先生」「先生」と呼び合って触れ合わない。学級経営の話もしないし、ましてや私的なことなんか話せる雰囲気でもない。このことも周囲の目を学級に届きにくくし、「学級王国」を強固のもとする。これは個人的資質能力だけで起こることではなく、学校という体質によることが大きい。学校というところは、指導のために特別な権力が与えられている場であり、互いを「先生」と呼び合い、互いのことには立ち入らない場である。学校が「学級王国」をつくりあげているとしても過言ではない。教師は学校という魔界(魔物)の犠牲者だろう。

 教師になったとたんに常識が通じなくなったと感じることが多い。(一番は口調の変化。教師独特の威圧的かつ命令的な口調になる。)学校という場が社会といかに遊離しているかということに気づかない。社会では通用しないような理屈を「学校だから、これは当たり前」とか、「学校のことを知らないから、わかってない」とかの言葉が並ぶ。
 
教師には「謙虚さ」が必要と学びの場ではいうが、実際は謙虚さなんてない。教師が教育・指導の名のもとに強い力を持つ場が学校。そこには必ず「特別権力関係」が存在し、学校だからこそ起きる「権力麻痺」のようなものがある。さらには学校には保身による隠蔽体質がある。そんな学校という魔物が、教師の人間性を変えてしまう。教師は学校という魔界(魔物)の犠牲者だろう。

 教育は英語で「education」。語源はラテン語で「能力を引き出す」という意味だ。しかし、学校では「引き出す」より「教え込む」場面が多い。教師は高みにいて子どもを引き上げるのが役目という伝統的な教師像がある。この教師像が、子どもの個性を伸ばすことや学ぶ権利を第一に考えるのではなく、自分が描く理想の型に子どもをはめようとする教育に導いてしまう。「子どもと一緒に笑って泣いて」という教師像ばかりを叩き込む大学。自分が意識していなくても、教師と子どもは「権力関係」にあることを教師をめざす学生に伝える、これは大学の役割であり、伝えていないのは大学の責任。

 信じる方向に子どもを導くことが教育だと考え、子どもの自主性や自尊感情を育てることは大切だと口にしながらも、実際は子どもと一緒に学び、遊ぶなかで「正解」に誘導している。そして、それを教育だと信じている。「引き出す」のと「教え込む」のとでは意味が違う。この感覚の麻痺は教師個人の責任である。ただし、学校という魔界(魔物)の犠牲となっていることは否定しない。

 教師という立場だった時には正しいと思っていたことが、教職を離れた時に教師以外からは評価されないかも…と気づく。教師は、一歩間違えば意図的・故意ではなくても、権力を悪用する(してしまう)危険と隣り合わせにいる。子どもが親を含む大人に「ノー(NO)」と言うには勇気がいる。ましてや「特別権力関係」にある教師相手なら相当な勇気がいる。そのことをしっかりと理解しなければ、相手理解にはならない。間違った解釈や思い込みをしてしまう。

 教師は、叩かれることが多く、社会の弱者だとされる。しかし、実際はそうではない。「特別権力関係」の強者にいるのが教師である。その関係は子どもを介して保護者にも及んでいるのが実際のところだ。強者の立場にいるからこそ、社会では常識外と判断される言動が叩かれる。教師は強者、自分がいかに危険と隣り合わせにいるかに気づかなければならない。しかし、学校という魔界(魔物)のなかでは、その正しい感覚が麻痺させられてしまう。

 教職にある人がこれを読んで「気をつけよう」と思った人は大丈夫。「こんなのはおかしい」「自分は大丈夫」と思った人は危険信号点滅。学校という魔界に住む教師という魔物たちに侵されているかも…だ。
侵されないようにするには、常に正しく判断してくれて、たとえ喧嘩になっても意見をしてくれる存在をつくることだ。できれば教師以外の職業で学校のことを理解している人が良い。

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西本圭