学校を変えるためにはまず学校好きな先生たちを巻き込んでいく①

下記ブログは、元校長先生が学校を変えるためにはまずは先生を変えていくという持論を展開した内容です。

以下引用サイト
リンク

******************************************

学校を変えるためには先生の意識を根本から変えなければいけない。私はシンプルなことから始めました。それは挨拶です。先生は教室に入ったとき生徒に挨拶します。学校は思い出や感動を生み出す場所です。それには先生の根底に「元気」が必要です。元気の素になる最初の行動が「挨拶」です。私はいろいろな学校に行くことがあります。その学校の雰囲気は挨拶に一番表れます。先生が挨拶できないと生徒に伝播します。挨拶は、それだけでお互いにいい気分になります。人間はいつもちゃんと挨拶してくれる人のほうが好きになってしまうところがあります。
 
挨拶は習慣です。単純に勇気も必要です。人としての徳においても大切です。人間関係を築くための最初の一歩が挨拶です。
 
私は「先生は経験ではなく、志で決まる」と考えています。「志が高く、先生としてのあり方」が身についた先生は視点をはずしません。年齢にかかわらず、「志が高い先生」がいい教師です。志の高い先生は、その生徒のためにしてあげられることを常に考えています。志の高さは意識が高さといってもいいでしょう。「こうしたほうが、もっとよくなるだろう」「ここを変えていったらいいだろう」とすぐ気づきます。そして行動します。

生徒を注意するときも、生徒がよくなるための注意と、先生の怒りを発散させるだけの注意ではまったく違います。志の低い先生は、その場その場で自分の怒りを発散させるだけの注意になりがちです。
 
志の高い先生は生徒のことを考えた結果であり、その子のために必要だから注意をします。そうやって「志の高さをずっと持って、真正面からじっくりと生徒に向き合う」のがいい先生なのです。先生の志の高さは、三学期が終わったクラスの状態を見ればわかります。クラスの生徒は担任を映している鏡です。終業式のクラスの状態がその担任の状態を表しているのです。
 
そのときに人格が豊かな、志の高い、心の温かい子どもたちに満ちあふれていたら、それは担任がそういう人だからです。反対に表面だけを追うような、表層的な部分だけで行動したり、ものごとを考える担任がいたとします。そのクラスは三学期の終業式のときには、そのような表層的な部分でしか生きられない子どもばかりのクラスになってしまいます。

それは長年の教員生活で見ていて、すぐにわかります。よく「何年かたたないと教育は結果が出ない」と言います。そんなことはありません。たまたま悪いクラスにあたった、ということも先生から聞きます。クラスがよくなるのも悪くなるのも担任しだいです。
 
その結果、担任の志の高さが終業式の生徒に表れるのです。そして、学校の志の高さは卒業式を見ればわかります。卒業式は生徒も先生も涙して、なかなか帰りたがらないとき、それを見て私は、すべての担任のクラスがうまくいっている、と思います。

******************************************

 

 

 

 

西本圭