現代の学校教育は洗脳と同義2

『教育と洗脳の違いは?日本の学校教育は洗脳と同義だと思う(リンク)』から転載します。
----------------------------1より
■何が「望ましい姿」か?は人によって異なる
この結果、その後非正規社員の人たちの働き方が大いに改善されたとなれば、彼らが起こした事件というのは、彼らと同じ境遇で生きている人にとっては大いにメリットのある行為だったことになる。国が非正規雇用を認め、企業が積極的に非正規で雇うという現状は、都合の良い労働者を多く確保し、利益を追求するという非常に大きなメリットを生むが、実際に非正規で働かされている人はたまったもんじゃない。この状況を改めさせるには、現実問題として武力に訴えるしかないと思うし、クーデターでも起こすしかない。そうなると、犯罪を起こすことを悪とするのが教育の目指す方向であるのならば、少なくともこれらの行為は行うべきではないとなる。ただ、それはすなわち非正規社員はそのまま苦しみ続け、嫉妬や憎悪の感情を抱いたまま我慢して生きろといっているに等しい。こういった行為以外で、彼らの状況を改善させるのは困難すぎる。それは国民の多くが非正規の働き方とは無縁で、ほとんど興味を示さないから。世論の後押しも期待できず、相対的に数の少ない彼らができるとしたら、非合法的な手段しかないのです。

犯罪を起こさないことは国、社会、多くの国民にとってメリットだが、犯罪を起こしてくれるからこそ、その後結果的にメリットを受けられる人もいるとしたら、じゃあ、どうして犯罪を起こしてはいけないと断定できるのか?犯罪を起こすと傷つく人が出てくる。だからいけないことなんだ。とする主張は分からないでもないが、じゃあ、国や社会が一体となって、一部の人たち(例えば、非正規社員の人たちはホームレスなど)を苦しませても良いとする社会システムそのものは何故良い断定できるのか?実際に苦しんでいる人が大勢いる中で、それが望ましい姿であるのならば、じゃあ犯罪の被害に遭って苦しむ人がいるのは何故ダメなのか?先ほど言った教師は、どうやってこれに反論するのでしょうか?犯罪が起きないことは犯罪によって苦しむ人を防ぐ面もあれば、今苦しんでいる人は依然として、もがき苦しむだけ。犯罪が起きれば、その逆のことが起きる。犯罪が起きても、起きなくても、一長一短だと思うのだけど。犯罪も起きないで、苦しむ人も出ない社会が私は理想だと思うが、それを目指そうという声はあまり聞こえない。それは多数にとって今の都合の良い社会を一部捨てることになるからでしょう。だから、少数を犠牲にしても多数にメリットが一応あるならば、それは黙認してしまえ。そういう風潮が多数派に蔓延しており、少数派の人たちを押さえつけている面もあると思います。一般市民も教育者も、都合の良い主張をするという意味では、洗脳も学校教育も、それ以外の人々の主張も変わらないと思います。洗脳を行う人も、教育を施す教師も、1つの偏った価値観を植え付けるという意味では大差ないように思う。洗脳と教育は厳密に言えば違うと思うが、洗脳と(今、日本で実際に行われている)学校教育はほとんど同義だと思います。
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