『義務教育』を考える

現在の学校教育・義務教育の本質的な矛盾として横たわるのが、『軍隊をモデルとした人材育成は、闘争圧力がなければ機能しない』という欠陥構造である。

◆闘争圧力の不在
命令に従順な人材をいくら大量に育成しても、闘争圧力不在の指揮系統では意味を成さない。それは、集団や組織としてもそうだが、個々の人材の意識・活力面でも同様の結果を促す。それらが一部現場教師の自我肥大→支配・横暴空間を生み出し「役に立たない教育」を続ける温床となっている。

では、闘争圧力さえあれば、この「軍隊をモデル」にした学校教育は人材育成機関として再機能するのだろうか?

◆目的は国民総兵士化
そもそも日本の学校教育=義務教育は軍隊をモデルにしている。これは確かに命令に従順な人材育成を目的としているが、しかし単なるモデルではなく、組織構造的にはれっきとした国家間の同類闘争圧力(戦争圧力)を前提として国家主導で組み込まれた仕組みであり、厳格な指揮系統を構築する軍事的人材養成機関の一部であった。

すなわち徴兵制である。

徴兵制=国家が一定年齢の国民に兵役義務を課して強制的に軍隊に入隊させる制度。日本では、明治6年(1873)発布の徴兵令に始まり、昭和20年(1945)に廃止。

◆武力闘争の終焉
いまでこそ日本は徴兵制を採用していないが、国民の総兵士化は軍事的自国防衛の基本であり、世界的には減少傾向にあるものの、未だ隣国韓国をはじめ世界の半数近い国家が採用している制度である。この国民の総兵士化を前提とした徴兵制の一環としての人材育成機関が、明治以降の日本の義務教育=学校の真の姿であり、富国強兵の手段だった。

すなわち、第二次世界大戦・敗戦後に日本の徴兵制が廃止となり=闘争圧力・闘争課題が欠落し、教育システムが機能しなくなった時点。つまり、1945年からの73年間は、一貫として日本の義務教育は形骸化した制度であり、実質的・本質的には何の教育機能も果たしていなかったと見るべきだろう。

ならば、単純システム論的に闘争圧力=徴兵制を再導入すれば、兵士人材要請機関である日本の義務教育=学校は再機能するはずであるが、果たしてそうだろうか?

◆創造的追求圧力の時代
同類圧力=闘争圧力が武力・力の原理に基づく時代であれば、それは可能だったかもしれない。

しかし、貧困の消滅→私権の衰弱→序列原理(力の原理)の崩壊⇒共認原理への転換という、同類圧力そのもののパラダイムシフト(否定の同類闘争圧力⇒肯定の同類追求活力への転換)が顕在化し進行する現在。

単なる義務教育制度への闘争圧力の再導入といった過去回帰的な安易な発想では、たとえ見た目=部分整合的な組織統合度と成員活力が幾許か高まろうとも、今後の世界社会に必要とされる「事実追求の地平」に於いては、全く役に立たない「無能人材(捨象脳・暗記脳)を大量生産し続ける人材教育システム」である事に、なんら変わりがない。

したがってその再起動には、やはり如何なる可能性をも見い出す事はない。

 

 

 

 

Bannister