受験戦争とは無意味になった学校教育を"意味”つける為の装置だったのでは?

>すなわち、第二次世界大戦・敗戦後に日本の徴兵制が廃止となり=闘争圧力・闘争課題が欠落し、教育システムが機能しなくなった時点。つまり、1945年からの73年間は、一貫として日本の義務教育は形骸化した制度であり、実質的・本質的には何の教育機能も果たしていなかったと見るべきだろう。336924

上記の記述、確かにと思う。
そして戦後過激化した受験戦争とは裏返してみれば、明確な目的、意味のない学校教育、失われていくリアリティーをシステムとして維持する為の駆動装置だったのではないか。そして受験戦争こそ文字通り人工的に作り出した戦争なのではないか。何のために勉強するの答えが受験でいい学校にいく為、何のためにいい学校に行くの答えはいい会社に就職する為、そしていい生活を手に入れるため。それら私権獲得とセットでしか存続しなくなった教育システムとはその時点で既に終っている。

しかし、70年台貧困の消滅までは辛うじて意味を持ってまだリアリティーを保持していたが、なぜ今教育も学校も受験勉強も成立しなくなったのかの答えの一つが貧困の消滅である。そして、学校教育そのものがその中身においては本来全く必要のないもの、本来の学びとは異なるものであった事の証左である。

今、その事に人々が気が付き、受験戦争とも学校教育とも決別できたとしたら、漸く本来の学びとは何かを考える端緒になり、学びの楽しさも追求の楽しさも追い求める事ができる状況になる。
本来の学びとは人の役に立つ事であり、社会の役に立つ事、徹底して相手発にあるはずだ。あるいは自らの技術やスキルを付ける目的も社会や相手の期待に応える為に直結する事になる。

教育システムの崩壊という現象を目の前にして、同時に新しい学びのシステムは今ほど必要な時はないし、それは決して画一的なものではなくそれぞれの集団の中でそれぞれ工夫して産み出していくものだと思う。

「新しい学びのシステムの創出」が最初の創造課題になる。

私は非常に未来は明るいのではないかと楽観したい。

 

 

 


田野健