集団性の否定から始まった明治以来の教育制度が日本を潰す

縄文の本源性を受け継いだ江戸時代は、明治以降の新勢力(クーデター集団)にとって都合が悪かった。だからこそ、事実に反する屁理屈を並べて、集団性や社会性や、それが作り出す優れた日本人の意識や文化を否定し、新政府の正当性を声高に叫んできた。

明治以来の学校制度はその中心にあり、江戸時代まで日本を作り上げてきた、優れた意識や文化を否定する共認を国家ぐるみで広めてきた。その武器になったのが近代思想であり、これ自体が集団破壊の思想であるため、これを教える学校は、日本人の本源性や本来の集団を解体し続けてきた。

その結果、学校では真っ当な集団は解体され、その中で充足を得ることすらできなくなってきた。これでは学校に行くこと自体が、苦行になる。このような犯罪が、公の名の下に行なわれていること自体を、もっと糾弾していく時代なのではないか?
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大切な幼年教育の新たな方向性とは
(リンク
昔は6歳から寺子屋に通いました。
 惻隱之心 仁之端也
 (惻隠の心は 仁の端(はし)なり)孟子・公孫丑章句上六
 見義不為 無勇也
 (義をみてなさざるは 勇なきなり)論語・為政
 身以成仁
 (身を殺して以て仁を成す)論語・衛靈公第十五

などと暗誦しました。幼ない子には意味なんてわかりませんけれど、またたく間に暗誦してしまいます。そして成長して意味がわかるようになったとき、その言葉が生涯の座右の銘になりました。

これは江戸時代の学問のとても進んだ良いところだと思います。というより、こうした学問方法は、おそらく奈良平安の昔から続いた我が国の伝統であったといえます。

いまで言ったら小学1年生で、「さいた、さいた、さくらがさいた」ではなく、もともとは「いにしへに あめつちいまだわかれ)ず めをわれざりしとき、 まろかれたるとりのこのごとくして ほのかにめをふくめり(古天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、溟?而含牙)」と暗証したわけです。

これは日本書紀の冒頭ですが、4〜5歳児であっても漢字で教えればちゃんと書けるようになります。そしてひとつひとつの漢字の意味や成り立ちを學んで行くことで、まさに叡智を身に付けることができたのです。

鎌倉時代になりますと、これが仏教の経典やChinaの古典になり、また室町時代くらいになりますと孔子儒教老子孟子、莊子などが加わっていきました。

拙著『誰も言わない ねずさんの世界一誇れる国 日本』にも書きましたが、戦前に日本に共産主義思想が入り、日本の文化破壊をすることを正義だと履違えた作家の山本有三土岐善麿ら日本語破壊を唱え、これを受けた戦後のGHQの御用学者に落ちた先生たちが、「日本語は漢字が多いために覚えるのが難しく、 識字率が上がりにくいために民主化を遅らせている」「日本では難解な漢字が濫用されており、これが軍国主義を形成した。

よって漢字教育は軍国主義の復活につながる」などと、まったく意味不明の言論を展開し、我が国の教育から「難しい」漢字が取り払われることになりました。実際、いまではすっかり、小学校の低学年では、「一、二、正、人」など、画数の少ない漢字ばかりを教わります。しかし、その難しいとされた漢文や漢字を、幼児のうちから教えていた江戸時代には、日本人の識字率は女子まで加えて97%以上であったといわれています。

しかもその字は、筆字の草書体だったりします。それを当時の日本人はスラスラと読み書きできたわけです。現代人で、江戸時代の手書きの文献を読める人はほとんどいませんが、これは江戸時代の水準で言ったら、現代日本人の識字率は限りなくゼロに近いということです。
(中略)
人には、知識欲というものがあり、子供達の知識への渇望はものすごいものがあります。来場する子供たちは、不思議と、素読と関係のない他の教科の成績まで上がるのだそうです。

江戸時代の学問が進んでいたのは、教育現場である寺子屋に政府の補助がなかったことによります。全部民営です。政府(当時は幕府や藩)が資金援助して運営したのは、藩校や私塾などの、いまでいう大学だけです。そしてより良い大学に数多くの生徒を入れることができた寺子屋は、当然のことながら評判が評判を呼んで、大繁盛します。もちろん出来のよからぬ生徒たちを集める寺子屋もあります。

しかしそういう子供たちであっても、社会人としてしっかりした子に育つ(当時は12歳から丁稚に出ました)、そういう子をたくさん育成する寺子屋は、やはり人気になりました。一方、巣立つ子供たちが極道や任俠に走るような寺子屋は、いともあっさりと淘汰されていきました。
(中略)
また、江戸の学問の優れているところは、義務教育がなかったことです。しかも寺子屋は民営ですから、悪質な生徒はサッサと寺子屋を追い出すことができました。これができるのとできないのでは大きな違いです。
(中略)
だから「差別された」と騒ぐ馬鹿者もいますが、はじめから差別されないように、みんなと和し、教師の言うことをちゃんと聞いて、良い子にしていれば良いだけのことです。
(中略)
そのような教育指導体制が、戦後長く続けられてきたのは、GHQによって改造されて共産主義者のたまり場と化した文科省の責任が大であると言わざるを得ません。現に、戦後の義務教育によって育成された子供たちが官僚や一流企業の幹部となってから、平成の30年は、日本にとっても企業にとっても、まるで失われた30年になっています。
(中略)
さらに言うならば、このことは明治時代に始まる学制や文科省も同じです。はじめから日本人でありながら、日本人を否定し、西欧だけを規範とした猿真似教育体制の元締めが文科省であったわけです。

 

 

 

 

本田真吾