子どもから遊びを奪う保育園

今ではどの自治体でも保育園に入るのが大変で、待機児童の問題も以前大きいものとなっています。
気をつけないといけないのは、保育園は「入れればどこでも良い」というわけではないということ。
子どもの成長に大きな影響を与える5歳までの時間を、どう過ごすことになるのかは入る保育園で大きく変わるかもしれません。

以下、リンク より引用
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>勉強より「遊び」が大切
「学びは遊びの中にある」ということは、保育・幼児教育の業界では一般的ですが、世の中を見渡してみるとやはり「遊び」よりも「勉強」が大切、という風潮があるように思えます。「勉強」とは、机に座ってドリルなどで読み書きを覚える授業形式のものだと考えているのでしょう。

よく、幼稚園や保育園を選ぼうとしている保護者の方、あるいはすでにお子さんが幼稚園や保育園に通っている保護者の方から、「遊んでばかりの園で大丈夫なんでしょうか?」と尋ねられることがあります。私自身、いちばん上の子が保育園に通い始めた20年以上前には、同じように「うちの子は毎日こんなに遊んでばかりいて大丈夫なんだろうか?」と不安になったことがあります。

しかし、実際にわが子の体験からいっても、そしてほかのたくさんの子どもたちの事例をみても、「遊んでばかりで大丈夫?」という思いは、親の杞憂に過ぎませんでした。園の時代にたくさん遊んでいたことで、さまざまな実体験から多くの知識を身につけ、友だち同士で協同して何かを作り上げることを学び、大人や友だちなど、他人との関わりも上手く築けるようになったように思います。

ひらがなは小学生になってから最初の一学期間かけてゆっくり学びます。遊びを通してひらがなで書かれた自分の名前が読める程度にさえなっていれば、小学校に入学したときに遅れを取るようなことはないと断言できます。

>子どもは時間を取り戻しに来る
実際、遊びをとても大切にしているA幼稚園で、こんなエピソードをきいたことがあります。A幼稚園では、子どもたちは毎日、部屋の中では1年間を通して計画を立てた上で自由に創作に励み、外でも砂場で山を作ったり水を入れて泥水遊びをしたり、とにかく子どもたちがやりたいと思う遊びを大切にする保育が行われています。

子どもたちはみんな実に楽しそうに、伸び伸びと自由に遊んでいて、彼らが作り出す作品はどれもオリジナリティにあふれた斬新なものばかりでした。

住宅街にあるA幼稚園の周囲には、子どもたちを机に座らせてドリルをやらせるような、「お勉強」スタイルの幼稚園がいくつかあります。工作も自由に創作するのではなく、先生が目の前でなにかをやってみせて、子どもたちはそれを真似して作る、というような昔ながらの方式で行われている園です。

小学生になってもA幼稚園の卒園児たちはよく、園に遊びに来るそうです。周囲の「お勉強」スタイルの幼稚園を卒園したお友達を連れてくることがあるのですが、「お勉強」スタイルの幼稚園卒の子たちは必ず、A幼稚園の砂場を見て「この砂場、水を入れてもいいの!?」と驚き、狂喜して泥遊びに興じるのだそうです。小学生とは思えないほど、異様にはしゃいで遊ぶ子が多いそうです。

「明日泥んこ遊びをしますから、汚れてもいい服装で来て、着替えも忘れずに」そう言って子どもたちが大好きな泥んこ遊びをする園も多い 

なぜかと言えば「お勉強」スタイルの幼稚園の子たちは、砂場に水を入れて泥遊びをすることを禁じられていたからです。異様なまでに泥遊びに興じる友人たちを、A幼稚園の卒園児たちは不思議そうな目で見守ります。彼らは在園中に思う存分泥遊びをしているので、小学生になってからそこまでしようとは思わないからです。

そのエピソードを教えてくれたA幼稚園の園長先生は「子どもはそのとき必要なことをして遊ぶ。必要なのにやらなかったことは、後で必ず取り戻しにくる」と教えてくださいました。そう、子どもは必ず「失われた時間を取り戻しにくる」のです。成長の過程で発達に応じた必要な遊びをすることは、子どもの成長のための栄養なのです。

>教わらなくても絵本や図鑑を読む子どもたち
子どもたちをじっと机に向かわせて、保育者が理想とする子ども像を育てていこうとするような「お勉強」スタイルを続けている園もありますが、教育的効果は高くありません。いずれAIが人間に取って変わると言われる時代の子どもたちに必要な、創造性を育てることにはつながりません。

絵本の読み聞かせは「文字を学ぶ」遊びの筆頭だ。オノマトペ絵本から始まり、年齢によってさまざまな種類がある。お話を聞くことが楽しければ、当然文字に興味を抱く。一人でする「勉強」ではなく、先生や保護者に読んでもらう「遊び」の方が楽しいのは明らかだ

 

 

 

望月宏洋