アクティフラーニンク;の変遷と今後の在り方①

以下引用(リンク

アクティブラーニング前史
 「今日、アクティブラーニングという言葉に注目が集まっているのは、知識習得を第一目的とする伝統的な教授―学習観の転換が必要だという意識の高まりの中で、そのカギとなるのが能動的な学習であると考えられているためでしょう。とは言え、発想の視点はあくまで大学に置かれていますから、授業を離れた『自学自習』的なものとは違い、『アクティブラーニング型授業』と呼ぶべきものが志向されているというべきでしょうね」

 溝上先生はそう話を切り出す。しかし、もともと外来の概念であるアクティブラーニングについて、その意味を考える前に、歴史的な背景について知っておくことが有益だと語る。

 「アクティブラーニングについて考えるとき、歴史的に見ると『学校から仕事へのトランジション(移行)』に注目する必要があります。今日『先進国』と呼ばれる国々の多くで、19世紀末から20世紀にかけて、社会の工業化が急速に進みました。その生産力を背景に形成された国民国家の成員を育てるべく、学校教育も近代化されていったのです」

 前近代の教育は、聖職者や市井の知識人によって担われ、日常生活と併存した「リベラルアーツ」と呼ばれるものがその中心であった。しかし、工業化した社会の要請から、より高度な知識の獲得や、研究の場としての高等教育が求められる一方、「フルタイムの学校教育を経て、フルタイムの職業に就く」という、今日まで続くキャリア形成の原型がスタートした。

 溝上先生はこう続ける。

 「私はこのような教育の近代化を背景として生まれた人々のライフコースを『学校から仕事へのトランジション』と呼んでいますが、それは社会全体で一斉に起こったわけではなく、時の支配階級や中産階級の子弟から始まりました。つまり、エリート教育としてスタートしたのです。それは次第に多くの階層へと広がっていき、高等教育への進学率(日本で言えば大学進学率)が30~50%に達するようになると、次なる質的な変化が生じます。それが『高等教育の大衆化』です」

 エリート教育だった高等教育が、大衆教育に変化することで、教育の現場にはどのような変化が生じるのだろうか。

 「教育の大衆化による変化とは、ひと口に言えば、それまでのような知識伝達型の授業が通用しなくなるということです。今までなら伝わっていた内容が、伝わらない、響かないという状況が生まれてくる。それは、従来なら高等教育の場には進まなかったような学生たちが、大挙してやってくるようになったことによる、ひとつの結果ですね」

 そうした状況は、国力の低下という形で、国に危機感をもたらすようになった。米国でも、こうした教育現場の変化に加えて、ベトナム戦争での敗北や、さまざまな社会運動の高まりといった社会の動揺を受けて、1983年に『危機に立つ国家』というレポートが連邦政府に提出される。これを契機に、教育制度の改革が推進されていくことになった。

 「そうした中で国立教育研究所から併せて出てきたのが『学習への関与論(Involvement in Learning)』というレポートです。このレポートで初めて『学生中心型』と言われるような教育への転換が宣言されました。それは、大きく対象の広がったこれからの高等教育が、従来の『レクチャー型授業』ではもう立ちゆかないという認識に立ったものです。一般的には、これを端緒に新しい高等教育観が広まっていったとされていますね」

 この時点ではアクティブラーニングという言葉は使われていなかったものの、その後、米国では90年代に高まっていくアクティブラーニングの機運は、ここに端を発していると言えるだろう。

 

 

 

 

坂口弘