勉強がしんどくなるのはいつ頃からだろう。

私には、今年小学1年生になった娘がいる。今回が小学校生活始めての夏休み。幼稚園の頃にはなかった宿題がある。プリントの冊子を一冊持って帰ってきた。冊子をもらったのも初めて。自分が成長したって感じていそう。一方、小学4年生の兄は毎度のことで、げんなり感が漂う。

そこで、冗談で「このプリントは今日一日でやればいいんだよ」と軽い気持ちで娘に伝えた。娘は、「無理!!って」返答するかなと思いきや、「みんなやっているの?」という質問。「そうだよ」とその会話はそこで終了して、その後仕事に出かける。

仕事から帰って来て、朝のプリント冊子が開いたままで置かれている。見てみると全部終わっていた。聞いて見ると、別に嫌がるわけでもなく普通にこなしていた様子。ボリューム的には1時間弱で出来るレベルなので、普通に終わらせた様子。

次の日、娘に聞いてみた。「やろうと思ったからできた。」プリントを何枚もするという初めての経験にワクワク取り組んだ様子。そこには、「勉強=しんどいもの」というものがどこにも存在していない。一方小4の兄はすでに、「勉強=しんどいもの」となっている。

では、一体いつ子供の中で、「勉強=しんどいもの」になるのだろうか?
そもそも「勉強」の語源は明治の頃の日本人が死に物狂いで西洋に追いつこう(徹底して、真似していこう)と苦しみを強いていたことから始まる。

もう一つ、「良薬口に苦し」という感覚もあるのではないだろうか。しんどいからこそ、価値がある。精神論的な感覚だが、楽しいと価値はないと考えてしまう。こんな感覚を持っている人は少なからずいるだろう。

まだ、小学校の1年生にとっては上記の感覚は当然、持ち合わせていない。未知のものという感覚でワクワク出来る。しかし、時か経過し、一つ一つの習うことは未知の物かもしれないが、勉強というカテゴリーの中に入れてしまえば未知の感覚は薄れる。

また、出来なかったこと、苦しかった経験をしていく。それを自己責任と感じることでどんどんしんどくなっていくのではないだろうか。その出来ない自己と向き合うことがさらにしんどさを加速させていく。視点が全て自分になってしまうことでしんどさがうまれてくる。

何か、苦しいとき辛いとき、それを感じているのは自分だけと思うことで一層つらさが増してしまう。そのときにみんなも同じで、みんなはどう向かっていたのか?他にも同じつらさを感じている人はいないのか?と考えていくとそういう相手は、すぐ見つかるだろうし、視野が広がってしんどい感覚も軽減されるだろう。

 

 

 

匿名希望