【無意味な学校英文法①】学校で教える英文法は英語の意味を掴むためのものではなく、本来は法文や論文を検証するためのもの

先生「今日は不定詞の副詞的用法と形容詞的用法についてです。これらが区別できないと英語の意味をとれないからしっかり理解するように。」
と始めて、以下のような例文解説に続く。
「①I went to the park to play tennis.のto play tennisは、wentを修飾することから、不定詞の副詞的用法なので「テニスをするために」という意味で、文全体は「私はテニスをするために公園へ行きました。」となります。一方、
②I want a book to read in the train.のto read in the trainは、a bookを修飾することから、不定詞の形容詞的用法なので「電車で読むための」という意味で、文全体は「私は電車で読むための本が欲しい。」となります。分かりましたか?」
生徒「???」

これは、学校や塾の英語の授業でよくある光景だ。

そもそも、①の例文で、to play tennisがwentを、②の例文で、to read in the trainがa bookを修飾していると気付いている時点でこれらの文の意味は分かっている。意味が分かっているのに副詞的用法と形容詞的用法を区別することは無意味だ。
さらに、①と②の不定詞が副詞的用法なのか、形容詞的用法なのかを区別しているのは、実は文法ルールではない。I went to the parkを読んだときに「何しに?」という疑問が湧くから“行く目的”を、I want a bookと来たときに「どんな本?」という疑問が湧くから“本の説明”と捉えるだけで、2つの間に本質的な差はない。「テニスをするために」と訳すから副詞的用法、「電車で読むための」と訳すから形容詞的用法というだけのことだ。

つまり、学校や塾、予備校で講師たちが展開している英語の授業でやっている英文法は、“既に意味の判明している”文の構造を分析するための方法であって、決して未知の英文の意味を捉えるための方法ではない。英語教師は、これを、無意識にかもしれないが、英文の意味を捉えるための方法だと偽って授業をしている。従順な生徒はそれを信じて学ぶわけだが、当然英語ができるようにはならない。これが、日本の英語教育が失敗している一因となっている。

実は、この英文構造分析の方法としての“英文法”は、法文や学術論文などの記述の際に、別の意味を表す可能性がないか、誤解の恐れはないかを検証するための手法として使われるものだ。この英文構造分析が教壇で難解な講義をして権威を保とうとする教師たちには好都合だ。(教師にとっては)既に意味の分かっている英文の構造を小難しい文法用語を使って解説することができるからだ。

実際は、

I went to the park「私は公園へ行った」
  ↓「何しに?」
  to play tennis.「テニスをしに」

I want a book「私は本が欲しい」
  ↓「どんな?」
  to read in the train.「電車で読むための」

ここで「何しに?」「どんな?」などと思うのは、理屈ではなく“感覚的”なものだし、多くの場合文脈が規定する。しかし、それでは教壇で偉そうに講義できないからこういう教え方は教師受けが悪い。

学校の目的は、子供に能力をつけることではなさそうだ。

 

 

 

 

行靭如水