部活動のブラック化をどうとらえていくべきか。

子供達やその保護者から、部活動に対しての不全を聞くことが多い。
中身としては、部活の活動時間の長さ、や顧問の部活の私物化。例えば、ある子供の話では「顧問が学校活動とは別で行っているスポーツの組織に参加することを生徒達にすすめ、それを拒むと試合に出場できなくなった」といもの。その後、その部は1年ももたず部員が半数に減ったという話。

教育機関であるはずの学校で教育として機能していない部活動。子供達の貴重な時間が多く費やされているが、実態として、例えば、そこで身につけた(勝利至上主義や根性論)が、子供が社会に出た時に、周りの期待に応えていけるものになっているのかははなはだ疑問。といより、軍隊養成を目的としているならいざしらず、今の世の中にマッチしていないと思う。

全ての部活動において、上記の問題性があるとはいえないが、いまだに、軍隊の教育プログラムとしてスタートした部活動の背景が残存している。

最近ニュースでも挙がっている、指導者によるパワハラ問題や、長時間の活動を強いることでの事故など、顧問が絶対的権力者の私物化問題はあることで、そもそも、部活動の成果がどう評価されるかも背景として存在するのか。

このような部活動は子供達を苦しめていることからも「無駄」どころか「弊害」で、子供達に健全な教育環境を用意するという意味において、部活動が勝利至上主義に流れてしまう評価軸や、仕組み時代を、今一度見直すべきだと考える。

例えば、「アメリカの部活動がなぜブラック化しないのか」
リンク

という記事を読んで、日本の部活動との構造を考えたときに、枠組みとして

>一つは、校内での部活動あるいは選択教科としての活動と、地域での校外活動の役割分担ができているということがあります。つまり、校内活動が全てをカバーすることはしないという考え方

があるが、日本社会の現状にあった抜本的な見直しなしには、今の日本の部活動における価値はないどころか、将来の日本の弊害にしかならないと思う。

 

 

 

 

匿名希望