子どもを肯定視出来る大人が少ない

中学2年生の英語講師として働いていた学校は、チャイムが鳴る前に1分間音楽が流れる仕組みでした。オランダやフィンランドスウェーデンはチャイムすら無いのに、チャイムの前に音楽が流れるって…と考えさせられました。チャイムと同時に席につける生徒がほとんどいない為でした。

あるクラスで、授業中立ち歩いたり、叫んだりする女子生徒がいました。他の先生達に聞くと、「その生徒は、まともに授業を受けられない子だから仕方が無い。」と言います。その生徒が机に向かわないことよりも、大人が子どもに対して諦めてしまっていることに憤りを感じました。ただ単に決めつけてしまっていることに心底がっかりしましたし、大人が子どもに期待し、希望を持たないでどうするのだと思いました。

勉強はしなくていい。ただ、その子にとって45分間を少しでも有意義な時間にしてもらいたいその一心で、自分だけは全員を見捨てないと心に決めていました。

すると数ヶ月経ったあたりで、自分が手書きでその子に作ったメモをノートに綺麗に貼っているのを見つけました。そしていつの間にかその子は席に座って、鉛筆を片手に私の話を聞いていたのです。

指名しても発言しなかったのは視力が悪くて黒板が見えなかったからということも分かり、眼鏡を買うまでは教卓に座って必死にノートをとっていました。周りの生徒も段々とその生徒をバックアップするようになり、クラスで一匹狼化していたその生徒が、皆の輪の中に入って生き生きしている姿は1年間の講師生活において1番嬉しかった光景でした。

眼鏡を買ってからは、「静かにして、聞こえへん。」と周りに注意するようにまでなり、「最近家で英語の勉強をしているんです。」と保護者に大変驚かれ、感謝されました。

周りの教師達はその生徒が勉強することに驚き、私に感謝しましたが、大切なのはそこではありません。そこからそもそもずれていて、もっと子ども達を肯定視して心から認めるだけで、何人の子ども達が大人から解放されるのだろうと考えます。

そして、学校で授業をする、という意味を見出せない中での1年は地獄で、何度も途中で辞めようと考えていた中で、自分の支えになっていたのがこの生徒の存在でした。周りは私がこの生徒を救ったと思っているようですが、実際は逆で、私がこの生徒に救われていたのです。

一刻も早く日本の教育は変わるべきですが、残念ながら中学、高校の教育が改革されるのはもう少し先のようです。
改革がなされるまでは、せめて子ども達が生き生きする為に学校という場所を利用する、くらいの気持ちで良いし、生き生き出来る場ではないと感じるのなら行く必要はないと思います。

 

 

 

 

匿名希望