日本の学校教育に染まるほど何も生み出せなくなる

私も日本の学校教育にどっぶり使ってきた人間ですが、この流れに乗るほど自ら考えられなくなり、動き出せなくなるのだということを実感しています。

Money voice リンク より
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○サラリーマンを量産する学校教育
これは特に日本やアジアの教育様式に見られますが、先生が一方的にしゃべって、児童(生徒)はただそれを聞くだけという授業がほとんどです。講義形式は大人数に対してまとめて知識を伝授するには効率的な一方、それを受け取る側は単に録音機のようなもので、思考停止していると言っても過言ではありません。
疑問を持っても立ち止まることは許されず、もっと興味を持っても深堀りすることも許されず、つまらなくても抜け出すことはできず、淡々と授業は続けられます。まだ集中力があっても、終了時間が来れば授業は打ち切られます。
(中略)
たとえば、学習指導要領は政府の人間が作っていますが、これ以外にも多くの教育サービスは、すべて雇われた経験しかない人たちによって作られています。彼らは実業をやった経験がない。それは学校の先生も同じです。だから行政や学校(特に大学)が推奨・主催する「キャリア教育」は、基本的には「就職教育」です。大学で進路指導をする職員も雇用されたことしかないから、「就職」という道しか示せないのです。世の中には3万種類を超える職業があるわけですが、学校教育の中だけで教わるキャリア教育は非常に狭く、特に日本の学校は、「従業員量産システム」の域を出ていないと言えます。

商学部経営学部を出ても、何の商売もできない
たとえばお金を稼ぐための学問領域である商学部経営学部を卒業しても、何の商売もできないのは、いったいどういうことか。経済学部で経済理論を勉強しても、ビジネスモデルを作れないのはなぜなのでしょうか。

○最高学府を出ても「就職しないと生きていけない」
膨大な学費と時間を費やして最高学府まで進学したにもかかわらず、卒業後はどこかに就職しなければ生きていけない。会社に雇われなければ生きていけない。そんな教育に疑問を感じずにはいられません。
21歳にもなって誰かの傘の下に入らなければ生活が立ち行かない(つまり自立できない)教育とは、いったい何なのか。そう考えた時、今の日本の学校教育、そして大学進学は、それほど重要なパス(道)なのか、という疑問が湧いてきます。
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蔵端敏博