日本で「いじめ」について考えるとき、決定的に欠けている視点

日本で広く「いじめを減らすにはどうしたら良いか」についての議論をする時、常套句のように挙げられるのは
「いじめを減らすことは出来ない」というものだ。
多くの場合は人間の根本的な感情は帰ることは出来ない、という理由に基づくものだが、逆に考えてみる。
「いじめを増やすにはどうする?」
この問いについて答え求めるとこういった答えが多く挙がる。
あえてストレスのかかる人間関係に身をおかせる、
教師の仕事を増やして人数を減らす、教師に生徒のトラブルが耳に入らないようにする、部活動で極端な上下関係の生じるようにするなど。

「増やす」が挙げられるとすれば、その要因を実際の学校で解消できるように努めればいじめは減るのでは?
同時に「増やす」で挙げられた項目はどれも環境要因であり、いじめの原因が必ずしも個人間の変えようのない感情のみの問題ではないことがわかる。
むしろその感情すらも環境要因から来るものが大きいのでは?


個人の感情はどうすることも出来ないと問題を投げるのでなく、
これからの学校教育・いじめを考えていく上で「教育環境をどう形勢していくか」
真摯に向き合っていきたい点である。


参考:リンク

 

 

 

 

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