学テの成績による教師手当? 歴史に学ぼう

自考力を獲得する教育と言うことで文科省の旗振りで「アクティブラーニング」が導入された、全国的には当り間になりつつあるこの教育方法の普及率が三割未満、その結果子ども達の学力は全国最低レベルである。こんな教育現状にある大阪市で標題のような制度を導入しようとしている。これでは何時まで待っても子ども達は救われない。怒りを込めて以下の記事を紹介します。リンクより引用します。

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8月3日の毎日新聞に、「大阪市 学テ成績で教員評価・手当増減を検討」という記事が出ていた。その後文科省から否定的なコメントが出て、更に校長が猛反発しているという記事も掲載された。

発端は、記事によると、学テで常に大阪市政令指定都市で最下位の成績なのに、市長が業を煮やしたということらしい。「教育委員会に危機感が感じられない、結果責任への転換が必要だ」とのことだから、おそらく教育委員会も賛成ではなく、市長の主導のようだ。

ただ、その方法は、「総合教育会議」で決めるようだが、そもそも、全国学力テストが、教員の評価になるように、資料が提供されているのだろうか。受けた子どもたちに、個々の分析がいくことはないようだが、学校単位や市単位の詳細が分析が届くのかどうかはわからない。たとえ、学校単位での分析が教育委員会に届くとしても、それを個々の教師の「実績」として評価できるかは、極めて疑わしい。実行したら、それは恣意的な方法を導入したといわざるをえないだろう。

実は、子どもの成績に基づくデータで、教師の給与を定めた歴史が、実際にイギリスにある。教育史に興味のある人には、有名な事実であるが、payment by result という方式で、19世紀の後半に一時実際に導入されていたのである。しかし、少し考えれば、子どもの成績と教師の業績を直接的に結びつけるのは、無理があることがわかる。子どもの家庭環境や地域の状況、更に子どもたちの組み合わせでも、子どもの成績は大きく左右され、教師の影響は、限定的でしかない。もともと学習意欲が高く、家庭でも学習に協力的な子どもたちが集まったクラスと、勉強など見向きもしようとしないし、親も無関心な子どもたちが多いクラスとを、結果としての成績で教師評価をすることが、乱暴であることは、誰にもわかる。

当然この政策は、かなり短い実施期間しかなく、廃止されたのだが、実は数年前から、同じことを政府がやろうとして、イギリスでは大きな論争になっているのである。実施されたとしても、混乱が生じるだけだろう。

実は、学テとは無関係だが、日本でも似たようなことが、実施されている。東京都である。東京都では、賞与のみが対象だということだが、賞与の何%かを天引きしてプールし、教師の評価に応じて、差をつけて再分配するという制度が、数年前から実施されている。日本では、教員組合がほとんど戦えない状況になっていて、上のいうことを、ほとんど無条件に受け入れるひとたちが、学校でも増えているようで、大反対が巻き起こっているということはないようだが、確実に教員間の共感の度合いが低下し、ボーナスの時期になると疑心暗鬼の状態になっているという。いや、それすらないのかも知れないが。

教師の評価そのものが、極めて難しいのであるが、更にそれを待遇に結びつけることが難しいのは、戦後の勤務評価問題をみればわかる。もちろん、評価自体は必要であろうが、このような飴と笞で教師を奮起させようというのは、そもそも間違っているのである。
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引用終わり。

 

 

 

 


takigawa hayami