なぜ「いじめ」はなくならないのか?春名風花さんがたどり着いた結論(2)

引き続き、リンクからの引用です。

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■心ではなく「制度」を変える必要がある
 「子どもなんて、自分の意思に関係なく産まれてきて生きなくちゃいけない。だからこそ選択できない時期ってすごく幸せであるべきだと思うんですよね」

 大人になればある程度の自由を手にすることができる。職場は自分の責任で変えることもできるし、お金の使い道だって自由だ。

 でも、子どものうちは選択の自由がほとんどない。転校は1人では決められない。そのうえ義務教育期間は、学校をやめることも簡単にはできない。

 「大人は、『逃げろ』って簡単に言うけれど、逃げた後のことまでは考えてくれません。不登校になった後どうすればいいのか、その後どんな風に社会と関わっていけばいいのか。そこまで選択肢を提示して考えてくれる人は、ほとんどいません」

 ちくりと胸が痛んだ。中高生の自殺が最も多いのは、8月下旬から9月にかけて。今年も、ネットでは多くの大人たちが呼びかけた。「逃げていいんだよ」「学校に行かなくてもいいんだよ」。

 もちろん、救われた子もいたかもしれない。でも、その子たちは一体、その後どうするのだろう。逃げをすすめた大人は、彼らのその後まで想像できているだろうか。「逃げてもいい」。それだけでは足りない。

 「今って、いじめられて死んでしまう子もたくさんいる。それなのに、『人の心』に訴えかけるようなことしかしません。『いじめはダメ』とか『みんなで仲良くしましょう』とか。どうして制度を変えようとしないんだろう? って本当に不思議です」

 具体的に彼女は二つの「制度」を考えている。一つは「クラスをなくすこと」。もう一つは「授業で演劇をすること」。

 「まずはクラスをなくしたほうがいい。好きな友達とだって狭い空間で長い間一緒にいれば、ストレスがたまることもある。好きでもない人間をランダムに30人集めて教室という空間に閉じ込めていたら、いじめが起きてしまうのは容易に想像できます。

 今、ぼくは単位制の学校に通っていますが、ホームルームだけはクラスでやって、あとは選択した時間に選択した授業を受けているんです。そんな風にできないのかなって。

 協調性が必要なら、好きなことで繋がれる部活などを自分の意思で選択したらいい。無理やりクラスを作らなくても、必ず人はどこかで誰かと関わることになります。そこで、協調性や人間関係は学べるはずです」

 これまで何度も考えてきたのだろう。ここまで一息に言い、「まあ、無理だろって言われちゃうんですけどね」と続けて笑った。

 しかしその言葉に、絶望の色はにじんでいない。世間の声を受け止めながらも、信念を曲げていない。世間が変わることを信じている、というべきか。

 「もうひとつは演劇をすることです。ぼくがお芝居をしているから思うことなのですが、人間のいろいろな立場を実際に経験することによって、はじめて理解できることもあると思うんです」

 彼女自身も、いじめをする人の気持ちはわからなかった。でも「好きな人を殺してしまう役」と「好きな人が自分のものにならないから、その奥さんを処刑させる役」を演じて、その気持ちは変わった。

 「傷つけることによって自分の存在を相手に刻み込むことの喜びを、垣間見たんです」

 いじめも同じだと彼女は言う。いじめている間は、いろんな人に認識されて承認欲求を満たされる、と。

 「弱い人を傷つけるって、簡単にできるし、楽しいんです。ただ……」

 何かを思い出しているような、絞り出すような間があった。下唇を少しだけ噛んだあと、ややつらそうな声で言う。

 「ただ……、ふと罪を自覚した時に、とてつもなく苦しくなるんですよね」

 彼女の鋭い洞察力は、演劇で培ったものも多いのだろう。「演劇じゃなくて、ディベートでもいいんですけど」と言う彼女だが、本来の自分ではない立場に立つという意味では変わらない。

 「自分は絶対に正しい。だからいじめなんてするわけない、と思い込まないで」。いじめる気持ちも、いじめられる気持ちも、等しく理解してからでなければこの問題の解決策は出てこない。

 

 

 

佐藤晴彦