学校でやることを増やすのではなく減らす ~ 脱”AI読み”

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学校でやることを増やすのではなく減らす

 しかし、学校は時代に応じた様々な教育が求められ、すでにもう手一杯だ。 


「小学生に英語教育とか、プログラミング教育とか言っている場合じゃありません。プログラマーになろうと思ったら、情報は豊富にあって、ほとんどオープンソースで公開されています。なりたければ、読む聞く書くができれば、勉強してなることができます。でも、読む書くができなければ、プログラマーになることは無理です。 

 学校の問題というと、いじめとか不適格教員のことばかりにフォーカスがあたりがちですが、日本の社会資本としての人材を育てて下さっているのは学校、特に義務教育を担っている小中学校です。その学校で、子供たちが教科書も読めない状況で先生方は困っているという現実は、みんなが共有する必要があります。 

 そして、学校でやるべき仕事を増やすのではなく、精査していく。キャリア教育もします、持続可能教育もします、グローバル教育もします、英語もやります、デジタルもします、そしてすべてちゃんとやっているかチェックするアンケートが行く……というのではなく、むしろ先生方にしていただくお仕事を絞っていくことが重要。何が必要なのかという選択と集中を、現実に科学的に向き合ってやっていくというフェーズに今はあるのではないでしょうか」 

(中略)

 子どもたちだけでなく、大人たち、それも読んだり書いたりする機会の多い人の読解力も大丈夫だろうか。忙しさから、文章も単語を拾いながら飛ばし読みするうちに、”AI読み”の癖がついてしまったりはしないだろうか……。 

 新井さんの話を伺って、教育のあるべき方向性が見えてくると共に、ツイッターでなぜ「意味が分かっていないのでは」「文脈が分かっていないのでは」と思うようなリプライが多いのかも、分かったような気がする。彼らは、他人のツイートを”AI読み”しているのではないか。頭の中に「江川紹子とはこんなヤツだ」という独自のイメージが出来上がっている影響もあるだろうが、ツイートの中のいくつかの単語を拾っただけで、「こんなことを言ってけしからん」と怒りを募らせているのだろう。 

 また、私自身がそうしたリプライをろくに読みもせず消去しているのも、”勘のなせる技”などではなく、その手のメッセージにありがちな”頻出表現”を瞬時にチェックして、「消去」の結論を出しているのかもしれない。自分の心と時間を守るための防御反応とはいえ、このような”AI読み”が常態化しないよう、私自身、心しておかなければならない、とも思った。

 

 

 

匿名希望