西洋式と寺子屋式が入り混じった明治期の学校教育

明治に入り、西洋から学校制度が導入されたが、当初は今のような完全な講義型授業ではなく、江戸時代から各地域で根付いてきた寺子屋の実用教育とが入り混じった教育方法だったといえる。それもあってか、当時の子供達はおおらかで、のびのびとした学校生活を送っており、加えて親の子供に対する勉強圧力も低かったようである。

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明治5年に新学制が発布された。江戸時代の寺子屋や漢学塾とは異なる新しい学校体制が明治政府の施策として着々とすすめられていった。教員を養成する師範学校も各県に作られた。明治19年の小学校令では保護者に「就学セシムルノ義務」を負わせ、授業料を徴収し、教科書は検定制度となった。

一方、明治時代になっても、江戸時代の漢籍素読教授は民間の教育機関においてさかんに行われていた。小学校の放課後、子ども達は漢学塾へ通うこともさかんに行われていた。家庭内で祖父や父から漢籍素読を受けた子供達もいた。そうした素読教授が明治期になってからもずっと続いていた。
  
また、明治になってからも連綿と続いていた寺子屋にも子ども達はさかんに通っていた。新学制によってできた公立小学校の教育内容はいささか日常生活の実用とはかけ離れた欧米の翻訳物が多かった。それで寺子屋の「読み書きそろばん」という実用教育は重宝され、一般民衆に歓迎された。

本稿では、明治期に子ども時代を過ごした英傑たちの自伝・自叙伝の中から小学校の勉強のこと、小学校の生活や学習内容のことを書いている文章部分だけを選んで、以下に引用している。これらを読むことで、彼等の小学校生活が実際どのようであったかを知ることができる。

中略

■【荒畑寒村六歳】(明治26年)
  
私は姉とともに旭小学校に入学した。名古屋出身の伊藤という先生が校長で、木造の粗末な二階建ての校舎の一部を校長の住居にあてていた。階上と階下の板敷きの広間を、大きな木製の衝立で仕切った教室に各学年の生徒を収容して、校長をはじめわずか二、三名の先生がこっちの教室で読本のひとくさりを教えると、すぐ隣りへ行って算術を教えるという風であった。
  
習字の時間には、校長の奥さんが生まれたての赤ん坊を背負ったまま、墨汁で真黒になった竹筒の水入れから生徒の硯に水を注いでまわったり、双紙に爪で手本の字を印しておいてから書かせたりして手伝っていた。こういう教室では生徒が静粛である筈はなく、先生の姿が衝立の陰に消えるが早いかすぐ騒ぎが起こり、喧嘩が始まり、まるで芝居の寺子屋の涎くりを一堂に集めたような光景を現出する。

中略

明治5年に新学制が発布される。「当時の校舎は江戸時代の寺子屋とほとんど変わりはなく、その大部分は新築でなくて寺院や民家を借りたものであり、明治8年の小学校に関する統計によると、小学校校舎のうち一割八分が新校舎で、その他は全部借用、そのうち寺院を使用したものが四割、民家借用が三割三分、その他官庁、会社、神社、倉庫、旧藩邸などを借用したものが九分である。すなわち全国小学校の七割以上が寺院または民家を借用して開放したものである。もちろんその後次第に新築校舎が増加するに至っているが、当時借用校舎はきわめて不完全であり、ガラス窓は無く採光は悪く通風も不良であり、運動場は無いというごとくであった。

明治6年の実態について就いてみるに、就学率はわずかに二十八・一%にすぎなかった。女子の就学数は男子の三分の一以下であり、また就学の生徒数は全国の人口の二十四分の一、すなわち四・二四%に当たっているに過ぎない。しかして就学率の男女平均が五十%を越したのは、学制公布後十九年の明治二十四年である。もちろんそれ以前に明治十六七年には五十%を越してはいるが、十八年には五十%以下になっている。

■【河上肇五歳】(明治17年)
私は明治十七年三月、満四年五ヶ月で小学校へ入学した。その頃はまだ入学年齢に制限はなかったし、それに父は村長として小学校を管理していたので、そんなことも自由であった。

私は入学した年の八月十二日に、小学初等科第六級卒業という証書をもらい、翌々年の三月十六日には、第三級修業(証書は修業となってる)という証書をもらった。多分、その時だったろうと思う。私は小さな袴を着け、父に伴われて、その頃すでに臨終の床に就いていた母方の祖父を訪ね、その証書を見せに行った。祖父はひどくわたしを寵愛してくれ、孫の中では私が一番その愛に浴したものだが、この時も大変に喜んで、ご褒美だといって私に十銭銀貨十枚をくれた。

学校へ通うといっても、私は毎日おんぶされて往復したのである。その頃村役場と小学校とは同じ構内にあった。そして父は村長として小学校の管理をも兼ねていたので、役場の小使いに命じて毎日私をおんぶして学校の送り迎えをさしたのものである。

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西本圭