角川ドワンゴ「N高校」に決定的に足りていないもの

社会的に求められているスキルを身につける、実践型教育を行っている「N高」だが、個に収束した教育スタイルは以前の教育から1%の天才を吸い出せるものとなっている。

個に収束した「やりたい」追求だけではなく、「やらなければならない」社会の使命を追求仲間(闘争仲間)と求める教育スタイルも一方で必要と感じさせる記事です。


以下 リンク から抜粋

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●高校で盛んに導入されてる社会起業が無いのは時代遅れ

  不登校や高校中退などの低学歴によって低所得の職種へ導かれやすい人たちにとって、学歴・学力とは関係ない仕事を作り出す起業教育は、希望を作る選択肢の一つだ。
 だから、起業を支援することで貧困から立ち上がらせる取り組みが世界中で進んでいる。

  日本でも、経済活性化が懸念されている地域では、コミュニティデザインやソーシャルデザイン、社会起業を授業に導入する高校は続々と増えている。

  若い人材が地元で起業してくれれば、まちが活気づくし、地元の18歳がまちを出ていくことによる過疎化・高齢化の歯止めにもなる。
 だから、原発事故によって若者たちも希望を失った福島県でも、県立ふたば未来学園高等学校という新しい高校が作られ、社会的課題の解決に取り組む新しい授業が試みられ始めた。

  「○○という職種に就きたい」とか、「○○大学に行きたい」というのは、あくまでも手段である。

  その進路を選択する目的が、ただ自己実現のためだけでなく、社会的課題を解決することだと位置づけられなければ、「その子が飯が食えるようになるだけ」であり、その子に不登校やひきこもりをさせた「よのなかの仕組み」を変えることにはならない。

  それは社会に同じ課題を残し、同じ苦しみを持つ子どもたちをいつまでも客として迎え入れるビジネスを成立させるだけの場所になりかねないってこと。
 これは、教育の社会的価値を十分に考えておらず、運営者側の頭の中が高度経済成長の頃と同じように「みんなと同じになれるよ」で思考停止してしまっていることの証左だろう。

  自分らしさや個性を強調するなら、有名人になるような「成功」の基準に一元化されない仕組みが、授業の中に多様にあることを強調しなければならないはずだ。

  しかし、「N高校」には、地元・沖縄の社会的課題についても、新しい仕組みを作り出して解決する社会起業を学べる授業は無い。

  それなら、こんな大がかりなことを始めるより、大学進学のための授業はいっそ「古い」と切り捨て、AO入試対策のみに特化し、高卒認定資格試験にサクッと合格できるオンライン授業を作って、1年で全科目に合格させ、残り2年は生徒たちに他の高校では学べない「科目以外の学び」を豊かに提供すればいいだけだ。

  その方が、単位に縛られることもないし、SNSと連動させれば、不登校や高校中退の当事者・支援者が集まり、そのコミュニティ内でリアルな出会いが生まれるし、そのこと自体が豊かなキャリア教育になっていく。
 学校にこだわるより、そのほうがよっぽど民間企業のノウハウを活かせる教育の仕組みになると思うんだけど、あなたはどう思う?

  そのうち、多くの生徒の中から一部の卒業生を「成功者」だと持ち上げ、広告塔にするのだろう。
 そして、N高校でも救われなかった「その他大勢の落ちこぼれ」を放置した現実が置き去りにされるのだろう。
 ビジネスでの成功しか考えられない人たちの提供する教育とは、おそらくそれが限界なのだ。

 

 

 

匿名希望