安易に読書感想文を書かせることの弊害

下記の記事を読んで、自分が文章を書くことへの抵抗感・非充足感が小学校時代の読書感想文に起因していることを確信。原稿用紙の指定枚数を埋めるための思考が冗長な表現を助長し、表現力も身について行かない。
さらには読書感想文はその効果も確認されていない、単なる慣習としての強制圧力という事実は驚愕。根拠のないものは冷静に見直した方がよい。

■安易に読書感想文を書かせることの弊害(リンク

:::以下引用:::

読書感想文を書かせるという教育は間違っている。

私の経験から言えば、小学校というやつは、とにかく感想文が好きだった。この教育方法は、子供たちを読書嫌いにさせ、作文嫌いにさせる。

 だいたい“読書感想文”に一体何を書けと言うのか。私には、次の形態の読書感想文以外書けなかった。

……(あらすじ)……+「面白かったです。」
……(あらすじ)……+「面白かったです。」
……(あらすじ)……+「面白かったです。」
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 感想がないところへ来て無理やり感想文を書かされる上、このように書くと「感想文は、あらすじのことじゃありません! 感想を書きなさい」と怒られるのだ。

 もし論説文であれば、その意見に対する自分の意見を書くこともできよう。しかし小説を題材にして感想文を書けというのは少々無理がある。感想文に「つまらなかったです」とは書けない。「どこがつまらなかったのかを書けば立派な感想文だ」というかもしれないが、つまらなかったことに理由を求めること自体ナンセンスだと私は思う。読んだけど面白くなかった。ただそれだけのことだ。

 感想文でなくて書評を書けというなら、もう少し話は分かる。しかしその場合、専ら書評を書く訓練を目的に短期集中的にやることとして欲しい。つまり、全ての読書に対してそれを求めるのはやりすぎだということだ。感想文は単純に「本当に本を読んだという証拠」としての意味合いが期待されている面があると思う。「夏休みに本を5冊読みなさい」と課題を与えても、感想文でも書かせなければ、本当に読んだかどうか分からないからだ。しかし本当にそうだろうか? 読んだ証拠を感想文に求めるのは安易すぎる。書く方は大変だし、それに加え以下のような弊害がある。だから私は賛成できない。

 本を読んだら感想文を書かされるという繰り返しのサイクルは、子供を本ギライにさせ、活字離れを進行させる。たとえ読書そのものが嫌いでなくても、後で待ち受ける感想文を書く作業を考えたら、読書の量を減らした方が得策だ。私もおかげで読書が憂鬱になった。

 もっと深刻なのは、書きたくもないし書くこともないのに無理やり作文をさせることが、子供たちに文章を書くことを嫌いにさせることだ。事実、私は小学校の頃、作文ほどイヤな時間はなかった。当ホームページを見ても分かるように、今の私に著述という作業は億劫ではない。書きたいことが存在して、ペンを取る。これが当然な流れだ。なのに、小学校では書きたいことがないのにペンを取らされ、おまけに書いたことにケチをつけられる。こんなことが本当に読解力や文章力や表現力を育てることにつながると思っているなら、これ以上おめでたい教育方針もないだろう。

:::転載終わり:::

■参考記事
 夏休みの「読書感想文」が読書嫌いを加速?驚きの調査結果も(リンク

 

 

 

 

石山 巌