日本からノーベル賞が出なくなる、教育現場の耳を疑う「常識」

日本からノーベル賞が出なくなる、教育現場の耳を疑う「常識」
リンク)より転載

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■葉っぱの落書きとノーベル賞
日本の頭脳がまたもや世界に名を残しました。スウェーデンカロリンスカ研究所は10月1日、2018年のノーベル医学・生理学賞に本庶佑・京大名誉教授と、アメリカのジェームス・アリソン博士を選出したと発表しました。

「効果は高いが高額」と話題になった、がん免疫治療薬「オプジーボ」のもとになるたんばく質「PD-1」を発見したことが受賞理由です。

“研究者になるにあたって大事なのは「知りたい」と思うこと、「不思議だな」と思う心を大切にすること、教科書に書いてあることを信じないこと、常に疑いを持って「本当はどうなっているのだろう」と。”

“自分の目で、ものを見る。そして納得する。そこまで諦めない。”

“そういう小中学生に、研究の道を志してほしいと思います。”

本庶博士は“未来のノーベル賞博士”こんなメッセージを送りました。

ホント、このとおりなんですよね。というかこれって今の大人たちにも言えること。今の時代、情報は溢れ、キーワードを入れてググれば、何十、何百もの情報がつかまります。

そして、「わかった気分」になる。「知る」ことと、「わかる」ことは全く違うのに、見ただけ、読んだだけで、わかったと錯覚するのです。

難しいことを難しい言葉を使って話すのは簡単です。一番、難しいのは「簡単な言葉で難しい話をする」ことです。そのためにはわかってないと無理。わかるとは考えること。「自分の頭で考える」ことの大切さを博士は伝えたかったのだと思います。

個人的な話になりますが、私は中学校理科の教科書の編集委員をやっているのですが、今の教育の中で子どもたちに「考える」ことを学ばせるのはとても難しい。

例えば、「なぜ、雲は空に浮かんでいるのか考えてみましょう」という課題を与える時間を設けることを提案したことがあります。

この問いの答えは何でもいい。大切なのは「なぜ?」を考えることです。

「雲が浮いているのは、雲が軽いから」

「雲が浮いているのは、浮いているように見ているだけでホントはどんどん下がってきている」

「雲が浮いているのは、雲は実は地上まで続く柱みたいなっていて上空にいくほど温度が低いから、水蒸気でいられなくなって雲粒ができた」

などなど答えは本人の自由。10人いれば10通りの考え方があってかまいません。

(中略)

つまり、「なぜ、雲は空に浮かんでいるのか考えみましょう」という設問は知的な遊び。

自由に考えることは楽しいし、知的好奇心が刺激され、自主的に学ぶ力が高まるきっかけになります。

ところが、私の提案は「ダメ出し」をくらいました。

先生が困る、と。「上昇気流があるから」という答えを子供たちが出さないと先生たちが困るのというのです。

「教師は授業でやったことは、テストにして知識の確認をしなければならないので、はっきりとした正解がないとダメなんです」

現場の先生がこう教えてくれました。

考えるとは無限大に答えの可能性が広がっていくことなのに、たった1つの「オトナが用意した答え」にたどり着くことが、考えることだと勘違いしているのです。

学生時代、小学3年生の家庭教師のアルバイトをしていた時に、子供が家の観葉植物の葉の一枚一枚に、マジックで似顔絵を書いたことがありました。

それを見た母親は「何てことするの!」と仰天し、父親も「植物はお絵描き帳ではないぞ」と叱りつけた。オトナには、ただのいたずらにしか思えなかった。

ところが「なんで、あんなことしたの?」と子供に聞いてみたところ、「植物の葉っぱがどうして大きくなるのか知りたかったの」と。

「なぜ小さな葉っぱが次第に大きくなっていくのか? 葉の周りから髪の毛が伸びるように成長していくのか? それとも自分の背が伸びるように葉全体が大きくなっていくのか?」

それを確かめるために葉っぱにお絵描きをし、自分の疑問を解決しようとしたのです。

そんな子供の疑問を、オトナの「葉っぱにマジックで似顔絵を描いてはいけない」という“常識”がしぼませた。オトナたちの既成の知識や常識が、子供の「なぜ?」を邪魔し、子供の考える作業を封じ込めてしまったのです。

さて、まずは常識を疑うことから始めてみましょうかね。

 

 

 

紀伊谷高那