「二度目の死」を迎えている大学

 大学の存在意義は、「そこに行かなくては学べない事がある」という事だ。16世紀の印刷革命によって、大学は「一度目の死」を迎え、その危機を、学生と先生が一緒に学びながら同時に研究するという仕組みで乗り越えた。そして今、大学は、量的質的に、「二度目の死」を迎えている。

リンクより引用します。

※※※以下、引用※※※

都市論や文化研究を専門とする東京大学吉見俊哉教授。大学の現状に危機感を抱いた吉見教授は、大学を再定義すべく、その壮大な歴史をたどる『大学とはなにか』(岩波書店、2011)を著した。その著書によれば、大学は「二度目の死」を迎えているという。

(中略)

『大学とはなにか』では大学の歴史の見取り図を示す仕事をされました。今存在する大学は、一度衰退して生まれ変わったものであることを知り、驚きました。

まず大学はいつ頃誕生したのかというと、12~3世紀頃です。最初は1158年にボローニャ大学、次は1231年にパリ大学がつくられました。ただ大学は、そのあと一度死んでいるんですよね。大学が一度価値をなくしている時代があるんです。16世紀から18世紀にかけてのことです。私たちが高校までの教科書で習ったような思想家や科学者、たとえばデカルトパスカルライプニッツたちが活躍した時代です。

当時、大学の教授職であること=偉いというわけではありませんでした。知的に権威を持っていたのは、アカデミーの会員や非常に高く評価される書物を書いている人物でした。知の基盤を支えたのは出版とアカデミーだったのですね。大学はすでに時代遅れだとみんなが思っており、中世の大学はそこで価値を失いました。19世紀になると第二の大学が復活してきます。まずはこの大きな流れを捉えることがとても重要です。

中世に第一の大学が誕生し、19世紀になって第二の大学が誕生するのですね。それでは、まず中世の大学とはどのような大学だったのか、教えていただけますか。

第一の大学は基本的にはヨーロッパ中世の商業的なネットワーク、中世都市のネットワークに支えられていました。ヨーロッパ中世の経済が10世紀頃から復活しますから、商人や聖職者、知識人たちが都市から都市を渡り歩いていくことになります。学生も教師も同様でした。ただ旅人は地付きの権力構造を持っていないので立場が弱いんですね。各地の領主から干渉されるわけです。そのときに学生と教師が協同組合みたいなものを作って、私たちはローマ教皇、あるいは神聖ローマ皇帝から特許状をもらっていると言い張る必要がありました。その協同組合を彼らはウニベルシタス、今でいうユニバーシティーと呼んだ。それでイタリアに始まった大学はキリスト教の体系のなかでヨーロッパ中に広がって行きました。

そのようにして広がった大学はやがて危機を迎えるのですね。何が要因だったのでしょうか?

16世紀に起きた印刷革命が一番の要因だったと思います。それまでは写本しかないので、一冊の本を見るためには何か月も旅して、その本があるところに行かなくてはいけませんでした。それ以上に、本の知識をたくさん蓄えている大先生が各地にいて、その先生の教えを請うには、その先生がいる街まで旅していく必要があったのです。

しかし、印刷革命によって、同じ情報を持ったひとつの書物が何千部何万部と流通しうるようになってしまいました。ある種の情報爆発が起り、情報へのアクセシビリティが決定的に変わります。それまでは相当の労力を払って旅していたのが、本を買って読むようになる。

既視感があります。

そうです、これは21世紀に起こったことと非常に似ています。現在私たちが経験している情報爆発は21世紀にインターネットによって起こったのが最初ではないんです。16世紀に出版というものを通して、最初の情報爆発が起こっているんです。大学もその影響をかなり受けました。17世紀の最先端の知を支えたのは大学にとって代わった出版でした。

(中略)

そこで完全に死に絶えてしまったら、大学というのは残ってないわけです。19世紀になるとドイツで復活してきます。ドイツはナポレオン戦争で負けますね。ドイツは比較的大学が残っていたため、大学を核にして新しいドイツの知や学問を立て直そうという動きが、フンボルトという人を中心にして起きました。

それまでの大学はすでに確立した教義を先生から学生に教えるだけでした。しかし、フンボルトは研究と教育の一致ということを言い出します。文系の場合はゼミナール、理系の場合は実験室を主体として、学生と先生が一緒に学びながら同時に研究する新しい仕組みを整え、大学を再構築しようとし、ベルリン大学で実現していきます。これが功を奏し、新しい大学のモデルになります。これは、勃興期のプロイセン国民国家として大学を支えていたため可能になったことです。この新しいモデルが大ヒットして、その後19世紀以降、20世紀後半までの第二世代の大学の基本モデルになります。

ゼミに実験室、私たちは基本的にその延長線上にいるのですね。そして、またその線が切れそうだと……。

20世紀末に再び大学は世界史的な危機に至ったと思います。これには量的な危機と質的な危機と両方があると思います。量的な危機は簡単で、あまりにも大学が増えすぎてしまった。全世界で大学は1万8000くらいあるといわれています。

質的な危機でいえば、デジタル情報革命が起きて知のあり方が決定的に転換しました。16世紀に印刷革命が起こって情報のアクセシビリティがまったく変わってしまい、それまでの大学が価値下落を起こし、新しい出版システムのなかで新しい知がどんどん生まれてきた。さらにいうと、16世紀という時代は大航海時代であり、世界中が銀によって繋がっていった最初の劇的なグローバリゼーションの時代でもあります。現代を生きる私たちもデジタル情報革命とさらなるグローバリゼーションとを経験している。今の私たちの時代というのは16世紀の状況にとても似ています。

(後略)

※※※引用、以上※※※

 

 

 

 

野崎章