今の学校に無い「3つの本物」

先日、とある大学教員の方と「学び」について話をする機会があった。今の中高生の勉強を「試合の無い練習の連続」と例えていたのが印象的だった。

 「中間テスト」や「期末テスト」、さらには「受験」といった、一見「試合」に相当するものがあるように思うが、部活動をしてきた人なら感じると思うが、決定的な違いは、そこに「勝ちたい」という熱い思いは生じていない事。

 その方は「勉強」という言葉を使わないようにしているという。勉強には、そもそも「強制」のニュアンスが含まれているから。そういう意味で「学び」という言葉の方が良いと。そして、「学び」に必要な「3つの本物」という事で、以下の内容を紹介してくれた。

・本物の人
・本物の話
・本物の課題

 本物の人とは、実社会で働いている(≒闘っている)という意味。本物の話とは、本物の人の話だが、教科書に書いてある事の殆どは本物ではないという意味が含まれる。そして、本物の課題とは、実社会で本当に誰かの役に立つこと、誰かの期待に応える課題である事。

 もうわかると思うが、これら3つの「本物」が、今の学校教育には無い。大学を出て直ぐに教師になり、実社会で事を成していない今の「先生」に期待するのは根本的、構造的に無理なのだ。

 その方は、学校が教師を自前で抱えるというシステムは、早々に崩壊すると予感されていた。将来的には、教師(という名前も変わるが)は「コーディネーター」に徹し、上記の「3つの本物」は、実社会から招聘する事になると。

 そう考えると、医者や僧侶や商人などが、仕事をしながら、子供達の面倒を見ていたという、江戸時代の寺子屋のイメージが沸いてくる。明治以降の教育観が、ここにきて大転換を迎えていると感じている。

 

 

 

 

野崎章