日本の教育には創意工夫が足りない

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ゲイツはどんな教育を受けたのか

ゲイツは12歳のとき、シアトル市内にある名門私立中学校に入学した。この学校では、若い数学教師がコンピュータ管理を担当する一方で、運用は生徒たちの裁量に委ねられていたという。

1960年代の時点で生徒にコンピュータの運用を任せているとは、にわかには信じがたいかもしれない。ところが、シアトルではそれが現実のものとなっていた。こういう教育法はラーナー・センタード(学習者中心)と呼ばれ、日本でも最近ようやくその必要性が認められてきた。

また、ゲイツが通った中学校には「母の会」というものがあった。これはただの保護者会ではない。ある面では学校を経済的に支援する役割を担っていた。母の会では度々、バザーを開いた。そこで得られた売り上げを学校に寄付して、コンピュータの購入資金に充てたという。

本の学校では考えられないことだが、海外の学校では教育資金を賄うために教師と保護者が一体となって資金を稼ぐことが珍しくない。卒業生の寄付品をオークションにかけたり、ホールを建設してコンサートや演劇で収益を上げたりすることもある。ファンディングと渉外担当の校長がいる国もある。


アメリカのビジネス誌フォーブスが今年発表した長者番付によると、ゲイツが1994年以来24年間続けていた首位の座を明け渡したという。その座を奪ったのが、アマゾン創業者で最高経営責任者(CEO)のベゾスだった。

ベゾスはシアトル出身ではないものの、彼がシアトルに与えた影響は計り知れない。アマゾンの成功がシアトルに巨大な雇用を創出し、優秀な人材が大挙することとなった。その結果、シアトルに拠点を置くIT企業が増え、必然的にITスキルが高い保護者も増えた。

これに伴い、学校もそれなりの環境が求められることとなり、シアトルの教育は今、大きな注目を浴びている。では、当のベゾスはどんな教育を受けたのか。

ブラッド・ストーン著『ジェフ・ベゾス 果てなき野望』によると、ベゾスはヒューストンの公教育の一環として推進する英才教育プログラムを受けている。プログラムは授業以外に、実践活動としてグループの討論や個別学習の時間があった。ベゾスは当時、校長室で車座になり、生産的思考の実践を受けた。ベソスはこれを機に、勉強した内容がどういう意味を持つのか考える力を持たなければならないことを悟ったという。

その後ベゾスはヒューストンを去り、シアトルに移り住んだ。そしてアマゾンを創業した。

「どの子どもにも等しく学びを」という日本の教育は賛美されるべきであろうが、教育には「機会の平等」も大切であり、あまりに強く「結果の平等」を求めすぎた場合は、才能ある子どもにとってはマイナスになることもある。

「たられば」ではあるが、もしゲイツとベゾスが日本で教育を受けていたら、その才能は開花していただろうか。今のシアトル経済を支える2人がイノベーターになれたのは、自由な空気に包まれた英才教育のおかげなのではないか。ゲイツやベゾスのように個性の強かった子どもには、日本の学校はやや窮屈かもしれない。

■ICT教育に必要な人材が豊かなシアトルの学校
筆者は今年9月、シアトルの小学校を訪問した。先端テクノロジー都市らしく、小学生には1人1台のパソコンが割り当てられていた。加えて、教師に対して先進的なICT教育の説明や情報発信を行う「マイクロソフト認定教育イノベーター」が、教員の中になんと7人もいた。

この資格を有する教師は、さまざまなテクノロジーを活用した実践を進め、ICTを生かす授業をクリエイトできることで知られる。日本の学校にも極たまに存在するが、1校に7人もいるとはすごい。

この学校の授業では、パソコンの使い方を理解したり、ネット上の情報をただ暗記したりするだけなく、そこで得た知識を日々の体験に生かすことに価値を置いていた。

たとえば、歴史の授業ではロールプレイの方法を用い、歴史の中の人物になる。その人物になることで、よりその時代に生きる人々の気持ちを理解することが可能になる。そのような体験を客観的に捉えることで、これまでより歴史を俯瞰できるようになる。

教師による生徒の評価も、ITを使って効率的に行われていた。この学校では、児童を評価する場合、「経験と勘」に頼ることなく複数の教員がチームとなる。生徒1人1人の傾向をデジタルデータを見ながら複数の目で丁寧に成長のプロセスを重視しながら分析し、個々に合わせた教育内容を検討していた。日本であれば、クラスの担任教師や、教科担任が1人で評価を行うケースもあるので、これも日本ではお目にかかれないケースで、筆者は驚いた。

さらに、この学校では、年齢を超えた複式授業で、ネットを使い、クラウド上にデジタルデータを共有して活用する授業が行われていた。ネットの翻訳機能やパワーポイントを使って、日本の良さを日本語で発表するという「おもてなし」があり、筆者は心打たれた。

歴史の授業も、筆者へのプレゼンも、「アウトプットするために学ぶ」という方法がとられ、子どもたちの学習意欲を高めていた。こうした教育を日本の学校でも行うべきだろう。

■日本の教育には創意工夫の機会が足りない
国際NGOオックスファム」によると、世界で1年間に生み出された富(保有資産の増加分)のうち82%を、世界で最も豊かな上位1%が独占しているという。この状況は歓迎できないものの、資本主義では教育を受けさえすればどのような階級にあっても能力や地位、個人の資産も向上して行くというパターンがあることも事実である。

これまでの経済の方程式が成り立たなくなってきている今、日本がまずやらなければならないことは、時代にフィットした新しい教育方法にシフトし、そこに資本を集中することである。IT産業が成長を続ける現代においては、日本の企業もITに関する教育に積極的に関与すべきである。

シアトルでの起業の活性化から日本が学び取れるもの、それは、まず教師が授業や評価においてITを駆使できる「教育イノベーター」としての能力を持つことである。また、子どもたちにクリエイティブな活動をさせることはもちろん、積極的に学校自体がファンディングも含め、創意工夫を行うことであろう。

 

 

 

 

真田俊彦