知的障害を人為的に作る「知性なき丸暗記」

****以下、鐘の声 ブログより リンク

サヴァン症候群のヒトはすばらしい。

山下清画伯」の絵画に感動しないヒトは少ない。「山下清画伯」がサヴァン症候群だったという証明はまだないが、おそらく類似だろうと思う。しかし、全ての子供たちに画才があるかといえばそうではあるまい。そのような普通の子供たちに人為的知識障害を引き起こして知能を引き下げても、画才が開花することはあるまい。

 単純反復動作、反射的行動を教えるだけの教育を知育教育というならば、仮性の知識障害者を無理やり作る教育ということになる。トンデモ教育である。スキル教育でさえも「やってみせ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ」(伝 山本五十六)なのだから、「言って聞かせ」る必要もあるのであると私は思う。

 知識獲得や推論も脳の働きなので、その訓練をシミュレーションで行うことも当然できる。クイズはアナログのシミュレーション課題である。学問をクイズのように教えるというのも一案である。これを「知能教育」というならば、「知能教育」である。アナログシミュレーションであれ、デジタルシミュレーションであれ、知識獲得や推論も訓練はできるという意味ではスキル教育である。呼び名はこだわらない。「スキル教育」でも「知能教育」でも良いに違いない。

ただし、世に言うスキル教育と知能教育の違いは主として「小脳」を鍛えているのか主として「大脳」を鍛えているのかの違いである。「小脳」も鍛えなければならないが、「大脳」も大いに鍛えなければ社会人になれない。大脳を大きく発達させてサルはヒトになったのである。大脳を鍛えずしてヒトであろうか。私は講義中によく「君たちは脳みそに汗を掻きなさい。スポーツは体中に汗をかいて体を鍛えるが、学問は脳みそに汗をかくんだ」と話す。大脳に汗を掻くくらいの熱中が起こらないと賢くはならないのである。

知能を育てる」とは、小脳とともに大脳を鍛えることである。 大脳を鍛えるデジタルシミュレーションは、1980年代に私はその世界の製造の先頭にいたが、普及はしなかった。tool群が脆弱で工数がかかることが製造上の問題だったが、教育界は当時から「丸暗記支援」だけを期待していて「知能教育」には関心が薄かったようである。

その後は、私のチーム以外からも散発的に様々な試行がされたが、大きく成功したものはない。存在しないとはいわないが、デジタルシミュレーションまだほんの少ししか存在しない。機会があれば、またデジタルシミュレーションのとびきり優秀なものを世に送り出したいという思いもないわけではない。機会が来るまでは、待つしかない。

 

 

 

匿名希望