夢がはっきりし過ぎていたから学校の勉強はもどかしかった

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■理想のクルマを自分で創るという夢

──子供のころから、乗り物が大好きだったそうですね。

特に新幹線が大好きで、小学校が早く終わる水曜日には、東京駅まで行って新幹線の写真を撮る“撮り鉄”でした。特に、山形新幹線のつばさは、同じ名前ということもあって、私のヒーロー。どうしても乗りたくて、小学校3年生のときに、お年玉を使って一人で乗って山形まで行き、そのまま帰ってくるという旅行をしたことがあります。

小学校高学年になると、関心が新幹線から自動車に移りました。きっかけは、フェラーリF80のプラモデルを作ったことです。新幹線もスポーツカーも流線形ですが、本能的にそこに引かれていたのでしょう。近所にフェラーリが止まっていると聞けば、友達を誘って見に行ったりしていました。
またクルマには、電車とは違って、自分で改造できるという魅力もあります。すぐにクルマ雑誌に熱中するようになり、「自分の理想のクルマを自分の手で創る」ということが夢になりました。

──ものづくりも好きだった?

 工作用紙とはさみとセロハンテープさえあれば何時間でも遊べる子供でした。ただ、両親は理系ではないですし、ものづくりをしているわけでもありません。兄もそうです。作るのが好きなのは私だけでしたが、山形行きも含め、両親は私のやりたいことをやらせてくれました。

 クルマにはまってからは、レースも見に行くようになりました。最初に行ったのは富士スピードウェイでの、今でいうスーパーGTです。父親が朝早くから運転して連れていってくれました。レースでは衝撃音とスピードがものすごくて、これなら友達もはまるだろうと思い、その後は誘うようになりました。父もそうですね。最初は、私がどうしてもと言うので運転を買って出てくれたのですが、徐々にレースそのものにはまっていったようです。

──「理想のクルマを自分で創る」という夢を叶えるため、どんな準備をしていましたか。

 理系に進む必要があるだろうと考えましたし、中学生になったころからは、知り合いを頼って自動車メーカーに勤める人やレーシングチームの運営会社に話を聞きに行っていました。インターネットもありましたが、まだそれほど詳しい話は出ていなかった時代です。

──学校での勉強はどうでしたか。

 フラストレーションがたまっていました。やりたいことがはっきりしている身からすると、時間軸が合わないというのか、学校の勉強はもどかしかったです。今となっては「これを理解するためにこの勉強が必要だ」という理屈も分かるのですが、当時は「数学がクルマづくりに役に立つ」と言われてもなかなかイメージが湧かず、とにかく悶々としていましたね。

 なので、当時は東京・大手町にあった自動車図書館に通ったり、大好きだったスカイラインGTRのカタログに書かれていることをそのままノートに写したり、触れたくても触れられない情報を欲していました。このころになると、同級生とクルマの話をしても、かみ合わないことが増えてきました。

──クルマに関する専門教育に触れたのは大学に進み、理工学部に入ってからですか。

 そうです。ただ、付属高校から入ったので、大学1、2年生のうちは受験をして入ってきた人との差を埋める必要もあって、あまりピンときませんでしたが、3、4年生でようやく、これまで学んできたことがクルマとつながっているというのが見えてきて、モチベーションも上がりましたし、受け身ではなく、かなり積極的に勉強するようになりましたね。

 大学で、1年生のときからレーシングカーを造るサークルに入ったのも大きかったです。造るというのは、構想して設計し、金属加工も含めた製作までして走らせるということですが、授業で聞くだけでは「ふーん」と流していたであろうことも、造っているとどんどん吸収するので、自分の中への知識の入り方が、それまでとは違うなと感じていました。

──最後の「走らせる」というのは、レースですか。

 はい、造ったレーシングカーで、全日本学生フォーミュラ大会というレースに参加したのですが、あまり成績は良くありませんでした。ただ、この大会は速さや耐久性のような動的審査のほか、造ったクルマを自動車メーカーに売り込むプレゼン能力や原価計算の精度、また、製造ラインをどう組むかといった静的審査項目もあるんです。メーカーでの仕事を疑似的に体験できましたし、静的審査があったおかげで、チームマネジメントにも興味を持ち、経営書などを読むようになりました。

──スカイラインGTRが大好きだったとのことでしたが、就職先は別の大手自動車メーカーを選んでいますね。

 推薦枠の関係、それから、GTRがモデルチェンジをした結果、好みのものでなくなったことも影響しているのですが、今の会社がハイブリッドカーに力を入れ、そのクルマでレースに参戦するようになったことも大きいですね。それを見て、ただ速いだけではないクルマの魅力をより多くの人に伝えたいと思いました。

 入社後は開発部門に配属されましたが、理系の場合は開発のほか、生産技術や製造に配属される可能性もありました。ただ、将来レーシングチームの監督になったり、スポーツカーを企画したりするには開発部門に入るのがいいことは知っていたので、配属前に熱烈にPRしました。

──結局、会社は辞めずに、あくまで業務外の活動として取り組んでいるのですね。

 はい。勤務先の企画部門や役員と話をして、業務外で活動してもよいということになりました。また、せっかく本業を離れてやっていくのなら、「理想のクルマづくり」という取り組みには制約を設けずにアイデアを広げようと、同僚のほか、学生時代の仲間や学外のメンバーだった人にも声を掛けて、団体を設立しました。

 

 

 

真鍋一郎