子育てを巡る欧米と日本の違い

「逝きし世の面影」(渡辺京二箸)に、昔日本へきた外国人が一様に「幸せそうな日本の子どもたちに驚く」様子が紹介されており、逆にそのことに驚いた記憶があります。
欧米と日本では子供についての見方は大きく異なるようです。
「街場のアメリカ論」内田樹:著から紹介させていただきます。

以下引用(順序入れ替えを含む)~~~~~~~~~~~~~~~~~

アメリカの映画や漫画やテレビドラマを見て、そこでの子供の描かれ方がどうも「かわいくない」と感じるのは私だけでしょうか。
ものすごくかわいい子供が出てきて、胸がきゅんと詰まって、ふれたい、抱きしめたい、保護したい・・・といった感情を無条件に発露させるような子供の描き方を私は見た事がないのです。アメリカの物語で描かれている子供は、みな生意気で、どちらかといえば邪悪なのです。これは私1人の見方とは思われません。

中略

とにかくこの手の映画をハリウッドが文字通り「量産」しているという事実は「子供は邪悪だ」という信憑がアメリカ文化に伏流していることをあらわに語っているのではないかと私は思うのであります。

エリザベート・バダンデールはその「母性という神話」のなかで、中世の親子関係が私たちの想像するものとはずいぶん違っていた事を豊富な事例を挙げて教えています。

中略

 バダンデールの示したデータの中でもっとも衝撃的なのは十八世紀の末のパリの子育て事情です。そのころ、ブルジョワの家庭では子供を母親が育てず、乳母を雇うか里子に出すのが流行していました。(「この階級の女たちは、子育てのほかにすることがたくさんあると考え、そう公言してはばからない」からです。)
子どもたちパリから遠く離れたノルマンディやブルターニュにまで里子に出されました。1780年、「首都パリでは、一年間に生まれる二万一千人(総人口は八十万から九十万人である)の子供のうち、母親に育てられるのは千人に満たず、住み込みの乳母に育てられるものは千人である。他の一万九千人は里子にだされる」。
その一方で、貧しい家庭では子供の生存そのものがただちに親たちの生存を脅かすものでしたから、親たちは手元不如意になると「子供を早く墓場に送る、さまざまな方法」に訴えました。孤児院に送るか出来るだけ安い乳母に預けるか、どちらにしても子供の生存確率は高いものではありませんでした。

 児童虐待についてはアメリカには長い歴史があります。起源は清教徒たちが新大陸に移住してきた時代まで遡ります。全ての人間は生まれながらにして罪人であるとするキリスト教原罪思想はとくに正教徒においては強いものでしたから、子供は生まれながらに「純真」であるとか「無垢」であるという子供観はここには入る余地がありませんでした。
むしろ子供を殴って肉体から悪を追い払うことは、宗教的に容認されるどころか推奨されていたのです。子供への体罰は教育の王道、親や教師の権利と言うよりはむしろ義務だと考えられていたのです。
1960年代になってようやく児童虐待が社会問題としてクローズアップされる事になります。

引用終わり~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

こうした欧米人と日本人の子供観の違いは今も依然として残っているのでしょうか。
詳細については原文を読まれることをお勧めします。

 

 

 

高橋克己