問題解決型から問題発見型の教育システムへ

佐渡島庸平著 「WE ARE LONELY,BUT NOT ALONE.」より
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世界共通の幸せの像があって、全員がそれを目指している。それがインターネット以前の状態だ。
(中略)
世の中に、不便や不満といった問題が山積みで、それがなくなることなど誰も予想していなかったので、教育システムは、問題解決ができる人を生み出すことを目的に設計されてきた。問題が与えられて、それを時間内に解決する人が偉かったのだ。世の中が、大きな不便と、大きな不満の解決をしている間は、「どのような人生が幸せか?」という問いすらも解答可能だった。よいとされているものを、身に纏えばいいのだから。

問題解決型の教育では、知識や技術を身につけることが圧倒的な善だ。それらがあれば、問題を解決できる可能性が高くなるからだ。学歴は、その人の知識や技術を一定程度は保証する。

知識や技術のほうが、個人の気持ちや個人そのものより価値がある。受検勉強では、耐えて努力する力が評価される。体育会系や学歴がある人は、会社に合わせて耐えて努力することができるから、採用で有利だった。問題解決型の人は、問題があるときは非常に有効で、力を発揮する。

しかし、そもそも論として、その問題は解決する必要があるのだっけ?という問いを突きつけられると、動けなくなる。今の時代、そもそも論が社会全体に突きつけられている。そして、日本の教育を受けたほとんどの人が、その問いを前に動けなくなっている。

教育の呪いを解くのは、頭で理解するよりもずっと難しい。細部にまで習慣として入り込んでしまっている。

まだ最新のデータなので、本当に相関関係があるのかはわからないのだが、幼稚園育ちよりも保育園育ちの方が、現代の仕事では活躍するというデータがある。幼稚園は「次に何をやるか」が園によって決められていて、それをこなしていく。一方、保育園は、その日の予定は何も決まっていなくて、子供が自分で決めなくてはいけない。義務教育の小学校になると、やることをすべて学校に決められ、子供はそれをうまく解くだけになってしまう。そのワクにはめる仕組みに当てはめられるのが、ちょっとでも遅いほうが、自分でやりたいことを見つけないといけない現代では有利ということらしい。
(中略)
教育だけでなく、マスコミも、価値観を広め、強化し、固定するのには大きな役割を果たす。テレビや雑誌のような、メジャーに向けて発信するメディアは、まだ多くの人が持っている旧来的な価値観を伝え続けている。学校でも言われるし、マスコミでも言われるから、自分の考えはマイナーで我慢しないといけないものだという思いが拭い去れない。
(中略)
今、僕は「ドラゴン桜2」の編集をするために、2020年の教育改革について、文部科学省の人たちに取材している。2020年の教育改革は、センター試験を始めたとき以上の大きな改革になるといわれているのだが、それもすべて問題解決型ではなく、情報を編集して、問題発見型へと移行できるような教育システムに変更するためのものだ。現行の教育システムでは、これからの時代を生き残れないといち早く危機感をいだいた文科省が、かなり大胆に改革をしようと挑戦しているのだ。

人の行動は習慣に規定される。今までの教育では、正解がある問題を与えられ、それを解くことを習慣づけられた。僕らは、過去の教育システムの影響を多大に受けている。しかし、その教育システム自体も変わろうとあがいている。今は、すべてが過渡期なのだ。どこかに問題を押し付けても、何も解決しない。過渡期に、何をするのかは、自分次第なのだ。

 

 

 

春野うらら