学校教育がダメな理由と、「学校には価値がある」という主張が無意味なわけ

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学校教育がダメダメな理由

私はツイッターやブログで、学校教育についてよく批判をしているのですが、これも「学校は学びの場としてあまりに生産性が低い」と考えているからです。

興味深いのは、この意見に反論してくる人の大半が、「とはいえ今でも学校教育には価値がある」とか、「私はこういうことを学校で学んで、それが社会に出てから役立った。だから学校には価値がある」と言ってくることです。

この反論と、私の意見の違いがおわかりになるでしょうか?

実は反論はすべて「学校教育の価値はゼロより上である」という意見なのです。私はそれに反対するつもりはありません。学校教育の価値は、間違いなくゼロより上だと思います。でも私の主張の元になっているのは、その価値を得るために投入される希少資源と得られた価値の比率、つまり生産性なのです。

正確に言えば私の主張は「学校での学びは、学びの生産性が他の選択肢に比べてとても低い。だから無理して行く必要はない」というものです。価値がゼロより上だと言われても、それだけで無条件に自分の時間やお金を投入したいとは思えません。他にもっと生産性の高い学びの方法はないのか、そう考えてしまうからです。

時間もお金も有限かつ貴重なので、十分に報われると思えることに使いたい=お金や時間の生産性を最大限に高めたい。そう考えたとき、学びの場として今の学校の生産性はあまりにも低く見えます。

最大の理由は、個々人の理解レベルにまったく合わないペースで教えられているからでしょう。最低でも30人の生徒がいる教室では、一番よくわかっている子も一番わかっていない子も、自分の時間を有効活用できていません。

おそらく時間が有効活用できているのは、真ん中の10人ほどではないでしょうか。しかもその10人も、英語の授業時間は有効活用できているけれど、物理の授業ではまったく無駄に人生の時間を使っていたりするのです。

学校しか学ぶ場がなかった時代には、それでもみんな学校に行くしかありませんでした。Uberがない時代にはタクシーを使わざるをえないのと同じです。タクシーの価値は確実にゼロより上であり、とてもありがたいサービスです。でもUberが出てきて生産性の比較になったら、まったく太刀打ちできません。

これからは学校も、新たに現れるさまざまな学びの場と「学びの生産性」という観点から比較され始めます。そしてその生産性が低ければ、今と同じ形で残り続けることはできません。

学校というのはお金もかかりますが、なにより時間がかかることが大きな問題です。個人的な感覚では、大学が今4年間かけて教えていることは、生産性を上げれば1年くらいで教えられます。もしくは4年もかけるなら、今の4倍くらい価値あることが教えられるはずです。

そもそも何十年も前の、紙と鉛筆しかなかった時代に4年かけて教えていたことを、今でも4年かけて教えているなんて、あまりに進歩がなさすぎると思いませんか?もし4年分を1年で教えてもらえたら、時間だけでなく費用も1年分ですむのです。

現在の状態では、学校の生産性は私の期待値と比べて少なくとも4倍は低い。だから私はその存在意義に疑問をぶつけているのです。

 

 

 

越乃八海