必要なのは社会で実体験を積んで身に着けた「頭の良さ」

「私はバカだから、発言がおかしいかも」

「私は大学を出てないから、授業についていけないかも」

こういう発言が、きらいです。

いや、一方的に「きらい」というのではなく、こうした発言がなくなる活動をしたいと思っているのです。

10代の頃、たまたま勉強ができたり、恵まれた環境にいた人たちが、よい学歴をもつ。

これを否定するわけではありません。勉強が好きで、レベルの高い教育機関に入るのは尊敬に値します。

しかし、それはブックスマートでしかない。つまり、本で読んだり先生に教わった知識における「頭のよさ」です。

残念ながら、世の中はこれだけでは回せません。

ストリートスマート

これが必要です。

ストリートスマートとは、社会で実体験を積んで身につけた「頭のよさ」です。厳しい環境や人間関係をくぐり抜け、体で覚えた「頭のよさ」です。

上の発言の

「私は大学を出てないから、授業についていけないかも」

という人は、確かにブックスマートではないかもしれない。
しかし、その分、社会で働いたり、子育てをしたり、置かれた場所で花を
咲かせながら自分を磨いてきた「ストリートスマート」に違いない。
要は、その自覚。自分への尊厳をもつことです。

ブックスマートばかりをかき集めた行政機関が、世の中と乖離する。
ストリートスマートがいなければ、過去の事例や組織の序列、自分たち
だけのブックスマート文化だけで動くことになる。

教育もそう。
なんら社会経験のない人が、そのまま教師になって子どもたちを教える
ばかりだから、妙な教育方針ばかりを考えてしまう。

私は、たくさんの経験を積んで、世の中の分別を心得たストリート
スマートな人たちといっしょに、芥川龍之介太宰治を読み返そうと
しています。

「私はブックスマートではなかったけれど、子育ても仕事もやってきた
ストリートスマートだ。30代そこそこで死んだ男たちが書いた小説がわからないわけがない」

と思って、彼らがどんな人生を歩んだかを知りながら読む。

すると「学歴」とか「頭が悪い」とかそんなくだらない呪縛にしばられていた自分から解放される。そんな気分を味わってほしいのです。

逆に、小学生や、これから丸の内で教える中高生に向けては、

「ブックスマートとストリートスマートの両立をめざせ」

と言っていきたい。

人に向かって「バカ」と見下すような言葉を吐く人間にはなるなと教えたい。

頭のよさは、多種多様。エマニュエル・カントを読む解く
頭のよさもあれば、おいしい卵焼きを作れる頭の良さもあるのです。

自分を安く扱わないように。「バカ」とか「頭が悪い」という言霊を謙遜としても、自分に向けて使わないように。

これを願います。

 

 

 

大森久蔵