アクティブ・ラーニングはエリート教育か?

2020年教育革命以降主流になっていくアクティブラーニング。アメリカやイギリスの事例をもとにジャーナリストの池上彰さんと作家の佐藤優さんが対談したものです。

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佐藤:誤解を恐れずに言えば、アクティブ・ラーニングは、基本的にエリート教育だと思うのです。自ら考えをまとめて説得力のある話をするというのは、指導的な立場になる人たちにとって必要なスキルでしょう。

話に出たアメリカのハイレベルの大学がそうですよね。水準の高い授業で学生をふるいにかけ、残った人間たちをエリートに養成するという方針が明確です。

池上:出来が悪ければ、どんどん落第させますからね。

佐藤:アメリカでは、それで文句が出ることはありません。競争社会で強い者が勝ち残っていくのは当然だ、という社会の合意がありますから。

ただ、自分で「エリート教育」をやっていながら思うのだけれど、このアクティブ・ラーニングについていけない人たちがどうなっていくのかというのは、深刻な話だという気もするのです。詰めこみ教育同様、新しい学び方の現場でも「落ちこぼれ」は生まれるはず。面倒なことに、今度はそこにAIが絡んでくるわけです。

池上:前におっしゃった、AIリテラシーを備えた人間のところに情報やお金が集まっていく、という問題ですね。選ばれた人たちは、アクティブ・ラーニングによってそういう能力を獲得していけるけれども、そこからこぼれ落ちると、以前にも増して悲惨なことになりかねない。

佐藤:仮に、一部の人間が世の中の大半の価値を生み出すような社会になったらどうなるのか? 例えば、追いついていけない人たちに富を再配分するような仕組みができるのかどうか、そのあたりが現状ではまったく見えません。

今言えるとしたら、養成すべきは「真のエリート」であって、単に「エリート意識」に凝り固まったような人間ではない、ということですね。セクハラや買春を繰り返して恥じない「指導者」は、エリートと呼んではいけないのです。

聖書の『使徒言行録』には、「受けるよりは与えるほうが幸せである」という1節があるのだけれど、彼らはそんな境地にはほど遠い。AI時代の強者がそんな人間ばかりだったなら、それはもう地獄というしかない状況になるでしょう。

池上:欧米社会のベースには”ノブレス・オブリージュ”、要するに「身分の高い人たちは、それに応じた社会的責任や義務を果たさなくてはいけない」という道徳観、倫理観があるんですね。エリートたるもの、能力が高いだけではなく、そういうある種の自己犠牲の精神を併せ持つ必要がある。例えば、イギリスのパブリックスクールの出身者は、第2次世界大戦中の戦死者率が異常に高かったりするのです。

佐藤:率先して危険な戦地に赴くから。

池上:そのくらい徹底して、真のエリート意識を涵養するための教育を行うんですね。AI社会の到来で、もしかしたら今以上に格差の広がる可能性があると言われるときだからこそ、そうした教育には一層大きな意味があると感じます。決して戦死者を増やす必要はないけれども。

佐藤:あなたの持っている能力は社会からいただいたものだから、社会に出たら還元しましょう、と。そういう精神は、しっかり育てないといけないですよね。ゆめゆめ、東大に入って、卒業後はベンチャーか何かをつくり、早いところ10億円くらい荒稼ぎして後は悠々自適な人生を送ろうというような、下品なビジョンを思い描く若者を多く生むような社会では、いけないわけです(笑)。

念のため付け加えておきますが、ベンチャーだから悪いというのではないですよ。金儲けが最優先事項であるようなビジョンという意味です。

本当の意味でのエリート教育は必要

池上:そんな話が冗談に聞こえない世の中になった一因は、戦後、建前上「エリート教育はしない」ということになってしまったところにもあります。だから、真のエリートがなんたるかがわからなくなり、実際には一部の中高一貫校などで、「おまえたちは選ばれたエリートなのだから」といって、他校の生徒をさげすんでも構わないような教育をする。

その結果、思い違いを起こした秀才たちを量産するという、まことにもっておかしな状況になっているのです。

佐藤:日本でエリートという言葉の響きがよくないのは、結果的に戦争に突き進んでいった戦前の日本がある種エリート教育の国だったのと、そういうふうに思い違いをして偉そうに振る舞う人間があまりに多いので、そのイメージが定着してしまった、という2つの理由からでしょう。でも、やっぱり本当の意味でのエリート教育は必要だと思うんですよ。


池上:何度も言いますが、私は「自ら考え、プレゼンする」といった力が、これからの世の中には必要で、それは必ずしも指導的な立場に就く場合ではなくても、同じだと思うんですね。ただ、自分が教えている大学をみても、すぐにアクティブ・ラーニングが可能な現場もあれば、かなり準備が必要なケースもあります。

佐藤:教師の側の問題以外に、学生の到達点の違いにも課題があるということですね。

池上:そうです。そういう難しさはあるのだけれど、それぞれのレベルでどのように新しい時代を生き抜ける人を育てていくのか、アクティブ・ラーニングのやり方も含めて、模索していかなくてはならないですよね。

佐藤:またエリートといっても、政治家や国家官僚もいれば、会社のプロジェクトのリーダーや、商店街をまとめていくエリートとかもいるわけです。

池上:いろんな現場で、リーダーシップを持って事を進めていける人たちですね。どんなに偏差値が高くても、それだけではできない仕事です。

 

 

 

 

大崎