学年学級制の問題点と未来の学校

日本の教育問題の根本にある「学年学級制」を克服する大胆提言リンクより引用

「学年学級制」とは、考えてみればとても不思議な制度です。同じ年に生まれた人たちだけからなる集団。そんなコミュニティを、わたしたちは学校のほかに見出すことができるでしょうか?
なぜ、学校ではこのような“不自然”な制度が一般化したのでしょうか?
少々乱暴に言ってしまうと、それは公教育制度が始まった約150年前、富国強兵と殖産興業のために、国は大量の子どもたちに大量の知識技能を一気に学ばせる必要があったからです。
「みんなに同じことを、同じペースで、同じようなやり方で、出来合いの問いと答えを一斉に勉強させる」
このいわば大量生産型・ベルトコンベヤー式の教育は、日本に限らず、ほぼすべての近代国家において、最も効率のいいシステムとして採用されました。
つまり学年学級制は、画一一斉システムにとって最も効率がよくなるよう、150年前に人為的に作り出された制度なのです。
教室の中に多様な子どもたちが入り混じっていたら、ベルトコンベヤー式教育はうまく機能しなくなってしまうからです。
こうして教室は、きわめて同質性の高い空間として今日まで続いてきたのです。
しかしこのことが、今、非常に多くの問題を生み出しています。

○人と違ってはいけないという恐怖
特に、同年齢集団はどうしても同調圧力が働きやすく、異質な存在を排除しようとする力学を生み出してしまうという深刻な問題を抱えています。
それがいじめの温床になるのは言うまでもありませんが、今、多くの子どもたちは、人と違うことを恐れ、空気を読み合うことをいくらか強いられる学級生活を送っているのです。
“人と違う”がゆえに学校になじめず、ついには不登校になってしまった子どもたちと、わたしはたくさん出会ってきました。でも彼らの多くは、学校を一歩出ると、実はとても生き生きとできるものです。
実はわたしのゼミにも、不登校の中学生や高校生などが何人も参加しています。彼女たちは、大学生に引けを取らないくらい、議論に対等に、そして生き生きと参加してくれています。
コミュニティが同質であればあるほど、わたしたちは息苦しくなるものです。でも、もし多様性が担保されていたならば、そしてその多様性を必要に応じて行ったり来たりできたなら、自分がより生き生きできる人間関係を見つけることも容易になるに違いないのです。

○激しく分断された社会
近年では、異年齢で遊ぶ子どもたちもずいぶんと減ってしまいました。幼児としょっちゅう交流している中学生や高校生なども、きわめて稀と言っていいのではないでしょうか。
現代の社会では、子どもと日常的に触れ合う経験のない若者が、その後もほとんど子どもと関わることなく親になることだってあるのです。いや、むしろそれが一般的です。
幼児だけでなく、障害を持った人や高齢者などと日常的に交流している若者だって、それほど多くはないのではないかと思います。わたしたちはいつしか、激しく分断された社会を生きているのです。
先に言ったように、これはひどく“不自然”な社会です。
わたしたちの市民社会は、本来、多様で異質な人たちが、その違いを認め合いながら、いかに共生していけるかを考え合っていかなければならない社会です。
にもかかわらず、子どもたちは学校において、そもそも異質な他者と出会う機会さえ十分に保障されていないのです。
むしろ多くの子どもたちは、突然投げ入れられた同質性の中で、いかにサバイバルするかに腐心する毎日を送っているのです。
市民社会の担い手を育てるという公教育の本質から言って、これはきわめて大きな問題です。

○多様性がごちゃまぜのラーニングセンター
そんなわけで、わたしは長らく、こんな未来の学校の姿を思い描いています。
幼児から、小・中学生、高校生、大学生、地域の人やお年寄り、障害者や外国人まで、とにかく多様な人が当たり前のように集い合う、“多様性がごちゃまぜのラーニングセンター”。そんな、新しい学校のあり方を提案したい。
学校の複合施設化と言ってもいいでしょう。学校を、子どもたち“だけ”が学ぶ場ではなく、さまざまな人たちが集い学び合う場にしていくのです。
多様な人たちが、必要に応じて、比較的同質的な空間からより多様性に満ちた空間まで、行ったり来たりできる環境をつくるのです。
そもそも、学校はなぜ子どもたち“だけ”が学ぶ場でなければならないのでしょう? 
せっかくの学習施設です。必要に応じて多様な人が集い学び合う、相互刺激の場にしてみてはどうでしょう?

(中略)

次に、学校統廃合の問題について。
これもまた、わたしは、学校を“ごちゃまぜのラーニングセンター”にしていくための大きなきっかけにすることができると考えています。
せっかくの学校を、統廃合してつぶしてしまうのではなく、学びの複合型施設へとリバイバルするのです。
そのことによって、学校を子どもたちだけが学ぶ場所ではなく、地域の人、親、学生、幼児など、さまざまな人が集い学び合う、“ごちゃまぜのラーニングセンター”にしていくのです。
先生だって、学校を自分の学びの場として、子どもたちにその姿を大いに見せてあげてほしいと思います。子どもたちや保護者の多くは、先生が研修などで常に学び続けていることをあまり知りません。
だったらなおさら、子どもたちの目に触れないところでばかり研修を行うのではなく、むしろ子どもたちがプロジェクトに勤しむその隣で、先生たちもプロジェクトに打ち込んでいるなんていう姿があっても素敵じゃないかとわたしは思います。
大人が学ぶ姿を見ることほど、子どもたちの学びにとって大きな刺激はないでしょう。
学校は地域づくりの要です。なくなると、地域住民をつなぎ合わせていた力が弱まり、町の活気も失われてしまいます。
だったら、学校を、今よりもっと多様な人たちの学びの空間にしてしまってはどうか。わたしはそう考えています。
今、仲間たちとともに、2020年度開校をめざした幼・小・中「混在」校、軽井沢風越学園の設立準備をしています。
それは文字通り、“ごちゃまぜのラーニングセンター”になるだろうと思っています。幼小中が混ざり合い、さらに保護者や地域の人たちもともにつくり合い学び合う、そんな地域とともにある学校に。

 

 

 

藤井智子