学年とクラスをなくせば不登校は激減する

なぜ子どもは不登校になるのか。その原因のひとつは、強制的に同年齢の集団をつくる「学年」や「クラス」にある。熊本大学教育学部の苫野一徳准教授は「同年齢の集団をつくるのは学校だけ。社会と同じく年齢が“ごちゃまぜ”の環境なら、不登校も減るはずだ」という――。
※本稿は、苫野一徳『ほんとうの道徳』(トランスビュー)の一部を再編集したものです。


※写真はイメージです(写真=iStock.com/Iseo Yang)
学校を「ごちゃまぜのラーニングセンター」にしたい
わたしは学校を、もっともっと多様性が混ざり合った、いわば“ごちゃまぜのラーニングセンター”にしていくべきだと考えています。

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そもそも市民社会とは、生まれも育ちもモラルも価値観も国籍も宗教も異なった、きわめて多様な人びとからなる社会です。だから学校もまた、本来であれば、できるだけ多様な人たちが出会い、知り合い、多様性を「相互承認」する機会をもっと豊かに整える必要があるはずなのです。

でも、今の多くの学校は、ある意味ではきわめて同質性の高い空間です。

同じ学年の子どもたちだけからなる学級集団を、みなさんは不思議に思ったことはないでしょうか? そんな同年齢集団は、学校のほかにはないんじゃないかと思います。

「自由の相互承認」は、わたしたちがまさに多様な人たちと出会い、知り合うことから始まります。知り合うことがなければ、分かり合うことも、そして認め合うことも当然できないからです。

だから学校も、本来であれば、年齢や世代や障害のあるなしや国籍などを超えて、もっともっと多様な人たちが行き交う場にしていく必要があるはずなのです。

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なぜ学校には「学年」「学級」があるのか
でも、学校は長い間それができませんでした。というのも、近代の学校は、大量の子どもたちに一気にさまざまな知識技能を学ばせる必要があったからです。そのため、学年学級制を採用し、「みんなに同じことを、同じペースで、同じようなやり方で学ばせる」、いわば大量生産型・ベルトコンベヤー式の教育を続けてきたのです。多様な子どもたちが教室にいれば、画一的なカリキュラムを一斉に教えることができなくなってしまうからです。

こうして、学年が分けられ、小学生と中学生が分けられ、中学生と高校生が分けられることになりました。障害のあるなしでも分けられることになりました。学校は、かなり同質性の高い子どもたちからなる集団になったのです。

改めて考えてみると、今、障害を持った多くの人と日常的に交流している中学生が、一体どれだけいるでしょうか。幼児としょっちゅう遊んでいる高校生が、一体どれだけいるでしょうか。現代の社会では、子どもと日常的に交流した経験のない若者が、その後もほとんど子どもと関わることなく親になることだってあるのです。いや、むしろそれが一般的です。わたしたちは、いつしか激しく分断された社会を生きているのです。

同じ年齢の集団は「同調圧力」が働きやすい
同年齢集団は、どうしても同調圧力が働きやすく、異質な存在を排除しようとする傾向を生み出してしまうものです。その結果、子どもたちは人と違うことを恐れ、空気を読み合うことをいくらか強いられるようになります。

“人と違う”がゆえに学校になじめず、ついには不登校になってしまった子どもたちと、わたしはたくさん出会ってきました。でも彼らの多くは、学校を一歩出ると、実はとても生き生きとできるものです。実はわたしのゼミにも、不登校の中学生や高校生などがよく参加しています。彼女たちは、大学生に引けを取らないくらい、議論に対等に、そして楽しそうに参加しています。

コミュニティが同質であればあるほど、わたしたちは息苦しくなるものです。でも、もし多様性が担保されていたならば、そしてその多様性を必要に応じて行ったり来たりできたなら、自分がより生き生きできる人間関係を見つけることも容易になるに違いないのです。

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学校をさまざまな人が学ぶ「複合施設化」する
そんなわけで、わたしが思い描いている未来の学校の姿は、幼児から小・中学生、高校生、大学生、地域の人やお年寄り、障害者や外国人まで、とにかく多様な人が当たり前のように集い合う、“多様性がごちゃまぜのラーニングセンター”です。学校の複合施設化と言ってもいいでしょう。学校を、子どもたち“だけ”が学ぶ場ではなく、さまざまな人たちが集い学び合う場にしていくのです。そうして、多様な人たちが、必要に応じて、同質性や多様性を行ったり来たりできる環境をつくるのです。

学校は、なぜ子どもたち“だけ”が学ぶ場でなければならないのでしょう? せっかくの学習施設です。必要に応じて多様な人が集い学び合う、相互刺激の場にしてみてはどうでしょう?

そんなことできるわけがない、と思われるかもしれません。

確かに、壁はいくつもあるでしょう。セキュリティの問題は、特に考えなければならない問題です。

でもわたしは、いくつもの理由から、これは20~30年後の未来にはきっと実現する、少なくとも実現させるべき学校の姿だと確信しています。

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森浩平