社会体験皆無の教員の劣化が著しい、子供も見抜いている。

・小学校から大学まで、その時代を反映した様々な教師に出会ってきた。みんな鬼籍入りだが、墓参りして話しかけてみたいと思える人もいる。
終戦直前の生まれなので、小学校の入学が昭和20年の後半世代だった。戦中戦後の修羅場を生き抜いて教壇に復帰した教員の逞しさと、戦後の新制教育制度の下で育成された学芸大卒教師の脆弱さの違いは、中学に入ったばかりのころにはハッキリと見抜けていた。軍隊帰りや焦土と化した敗戦後の修羅場を生き抜いた教師と、米軍統治下の教育を受けた新制学芸大卒の教員は全く違っていた。
・それから半世紀余を超えた今、さらに脆弱になった教育学部新卒教員が実体験もないまま教壇に立つ。そのひ弱さは小学生にすら見抜かれている。要は、学校の先生に大人はいないという事実だ。すぐ辞めてしまう新卒教員、少しばかりのストレスにも休職続出の中堅教員など、子供も大変だが、教員のなりてもいなくなってしまいそうだ。

・昭和30年半ばに高校に入ると、坊主刈りの数学教師が稀に生還した戦闘機乗りの将校、物理の教師が激戦の前線で着弾距離を計っていた砲術将校、そして英語は南方戦線の英兵捕虜収容所の将校だった。東亜同文書院引揚げ組の漢文の教員は、ただただ漢詩を朗々と吟じるばかりだった。そのお陰で生涯忘れることなく、漢詩を諳んじ愉しむことができそうだ。
彼らから戦闘下の話も聞いたが、いずれの風貌も逞しい男であった。その時分には、特攻に殉じた学徒出陣兵の「きけわだつみのこえ」や「ビルマの竪琴」を読んだ。教師の皆方の生き様を聞いて、それから社会を大きく吸い込んでいく切っ掛けにもなったように思う。

 

 

 

持国天